満身創痍のフローレンス到着と最大の危機 - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day2-2

フローレンス到着

座席の予約時点で既に察しは付いていたものの、実際に目の当たりにするとその小ささに驚く。

 

フローレンス便の機内の様子

 

フライト時間は1時間弱だったため、飛行機が動き出した瞬間にはもうフローレンスに到着したのも同然だと思い、内心ホッとしていた。

 

「SGさん(前日譚その2参照)が言った通りにUberを呼んで早くホテルに向かおう、そしてベッドにダイブして疲れを癒そう!」

 

と、思っていた矢先に飛行機は下降を開始した。

 

 

外を見る。

 

着陸直前の窓の景色

 

…あれ、こんな所に空港なんてあるの??

 

 

見渡す限り森である。

 

 

みるみる高度が下がる。

 

 

飛行機が森の中に突っ込んでいく。

 

 

ドンッという鈍い音がする。

 

滑走路に着陸したみたいだが、周囲は変わらず森である。

 

 

飛行機を降りた。

 

フローレンス空港到着直後の様子

 

フローレンスが如何に辺鄙な場所なのかを肌で実感した。

 

満身創痍でスペックの落ちた頭が、危機感のようなものでフル回転し始める。

 

 

 

「とにかくUberだ、Uberを…」

 

 

 

 

 

(30分経過)

 

 

 

 

 

何度試してもスマホの画面は「ドライバーが見つかりません」と表示される。

 

 

 

日が暮れていく。

 

 

空港からホテルまでは約8 km。

ホテルまで歩ききれる体力が残っているかも怪しい。

第一、見ず知らずのアメリカの田舎で夜道を歩くわけにもいかない。

身ぐるみをはがされようが何されようが、助けを呼んでも来るわけがないと悟った。

 

 

 

―終わった。

 

絶望の淵に立つとは、まさにこのことである。

 

 

カウンターのオジサンに助けてもらう

とりあえず、このままではどうしようもないと思い、人に頼ることにした。

 

レンタカーの受付カウンター(?)にいた白人のオジサンに声を掛けた。

英語力とかはもはや関係ない、とにかく気合で特攻した。

 

 

「すみません今困ってて、、、Uberでホテル行こうとしてたんですけど、ドライバーがいなくて…」

 

 

 

オジサン「こんな小せぇ街じゃ誰もUberなんてやってないよ(笑)」

 

 

「え!どうしたらいい?どうしてもホテルに行かないと…!」と、気合のコミュニケーションで伝えた。

日本語が通じない相手にここまで強気に出れたのも、状況が背水の陣だからだろう。

 

 

オジサンが、地元のタクシー会社の電話番号を教えてくれた。

 

しかし、何故か自分の携帯から電話が繋がらない。

 

 

結局、そのオジサンが地元のタクシーを呼んでくれた。

心の底から“Thank you so much”と伝えた。

 

 

本当にオジサンには感謝しかない。

が、自分も満身創痍の状態でよく頑張ったと思う。

 

タクシーを待っていたときに撮った写真

 

タクシーの運ちゃんエピソード

オジサンが呼んでくれたタクシーが到着した。

乗り込み、運ちゃん(イカツめな黒人)に宿泊先のホテルを伝える。

 

Google mapを開いて変な場所に連れて行かれていないか警戒しつつも、やっとホテルにたどり着けると安心もしていた。

 

オジサンと気合コミュニケーションを交わした直後かつ安心した状態だったため、その勢いでタクシーの運ちゃんに話しかけてみた。

運ちゃんに「好きなギタリストのライブを見るために日本から来た」と言ったら、「日本人なんてこの街で初めて見たよ!」と言われた。

 

絶望の後だったのも相まって、自分が相当なことをやっていることを改めて自覚した。

 

 

だいぶ打ち解けてきたタイミングで、運ちゃんが「そっかアンタ日本人だったらこれ知ってる??ええと、何だっけ…?」と続きが気になる発言をし始めた。

どうやら翻訳アプリを使って続きを説明したいようで、赤信号の間に手元のiPadでアプリを立ち上げようとしていた。

 

 

しかし、アプリがインストールされておらず、手間取っている間に青信号になってしまった。

 

 

そして、運ちゃんは話を続けるのを諦めてしまった。

 

こちらから別の話を切り出せるような雰囲気でもなかったため、そのまま両者ともに黙りこくってしまった。

 

運ちゃんは、それまでの話を無かったことにするかのごとく、EDMを爆音で流し始めた。

 

 

車内に気まずい雰囲気が充満したまま、タクシーはホテルに着いた。

 

 

満身創痍でもなかなか眠れない

ホテルのチェックインを済ませ、部屋に入る。

 

ホテルの部屋の様子

 

ホテル自体は、高速道路(ハイウェイ)のジャンクション近くのモーテル的な所である。

1泊1万円以下の比較的安い宿(フローレンスでは最安値クラス)だが、ベッドが大きく思ったよりも快適そうな印象だ。

 

さっそくシャワーを浴びた。

シャワーを浴びながら、ホテルの石鹸で足踏みの洗濯もした。

 

洗濯機のない状況での洗濯は十分な脱水が難しいため、いかに早く洗濯物を干し始めるかが重要である。

そのため、何が何でも着いた直後にやるぞと決めていた。

乾きやすさで服を選んだのは本当に正解だったが、それでも満身創痍の身体にとっては苦行だった。

 

何とか洗濯物を干し、ベッドに横になろうとした瞬間に第二の絶望が訪れた。

 

 

 

完璧な状態で出したつもりでいた修論に不備があり、修正と再提出が必要との連絡が来たのだ。

 

 

ノートPCも無い、、、どうしよう、、、、、、、、

 

 

ああああああああああああああああ(精神崩壊)

 

 

この瞬間が、この旅で一番の絶望のピークだったと思う。

ただでさえ疲労困憊で満身創痍の状態だったところに、まさかのトラブルが襲い掛かってきたのだ。

 

 

熟考・相談の末、他の人に急遽修正作業をお願いする方法を取ることにした。

修正を代わりにやっていただける請負人が見つかり、やっとのことで眠りについた。

 

 

こういうトラブルは予期せぬ所から雪崩的に発生しがちである。

このことを強く再認識した2日目であった。

 

そして、3日目はついにAndy Timmonsのライブである―

 

(続く)

いざフローレンス – 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day2-1

デトロイト空港に到着するや否や、今回の旅の試練の一つである空港泊が始まる。

 

始まった空港泊

ニューアーク空港の保安検査場でウィル・スミス(仮称)にブチギレられた経験を踏まえ、フローレンス到着までは下手に保安検査場の中から出ないように意識していた。

 

遅延に遅延が重なったこともあったため、同じ便に乗っていた他の乗客たちが我先にと急いで到着ロビーに向かっていく。

しかし、自分はその流れに逆らうように保安検査場内の待合所に留まり、安全かつ居心地が良さそうな場所を探した。

 

 

結果として、この判断は正解だった。

 

 

アメリカで空港泊を余儀なくされた人にオススメする、というか絶対に心掛けてほしいことは「保安検査場内で夜を過ごす」ことである。

この理由も含め、アメリカで空港泊をする場合の方法や注意点を別の記事にまとめる予定なので是非参考にしてほしい。

(記事を書き上げ次第ここにも掲載します)

 

警備の人や、クローズ作業を終えた売店・飲食店の従業員の人の目線を感じつつ、時間潰しのためひたすら読書をしていた。

 

到着時点で深夜だったこと、ニューアーク便での爆睡と時差ボケを引きずっていたこと、始めての体験で興奮状態だったことも相まって、眠気を感じることなく朝を迎えてしまった。

 

朝日が昇ると同時に飛行機が動き出す。

終電を逃した夜明けの始発電車に乗るときの、清々しいような後味が悪いような気分を覚える。

まさかこの気分を異国の地アメリカでも味わうことになるとは。

 

…なんて思っていたら売店が開き始めた。

小腹が空いていたので、おやつと飲み物を買うことにした。

 

店に入ると、日本では絶対見かけない色したコカ・コーラ、ファンタ、モンスターエナジーが陳列されていた。

こういう「見慣れない種類の見慣れたもの」を見ると、改めて海外に来たんだなぁと自覚するのだ。

 

「見慣れない種類の見慣れたもの」シリーズ



おやつには、日本でもお馴染みのポテトチップスであるプリングルスを買った。

 

物価高騰によって日本で売られているお菓子類の量が減っていることが話題となっていたため、アメリカでは実際どうなのかな?という好奇心で買ってみたのだった。

 

アメリカ版プリングルスの蓋を開けた様子

 

開けると、筒の上の方までしっかり入っているではないか。

なるほど、アメリカは日本みたいなケチなコスト削減をしないのだなと感心していたが、

 

 

 

 

値段は$2.99。

つまり401円。

 

 

401円?????!!!!!

 

 

やはりアメリカの物価、恐るべし。

 

 

 

そうこうしているうちに搭乗案内の約1時間前となった。

結局一睡もしなかったため流石に疲労が蓄積し始めており、集中力がみるみる削がれているのを感じる。

本を読み進めるスピード・継続時間が明らかに落ちていた。

同時に、「もうこれ以上飛行機に乗るのは嫌だ」と既に嫌気が差していた。

 

 

シャーロット国際空港へ

デトロイトからは、アメリカン航空ノースカロライナ州随一の大空港であるシャーロット国際空港に向かう。

シャーロットからフローレンス行きの便が発着しているのだ。

 

もう飛行機すら見たくなくなるほど嫌気が差していた私・富川だったが、いざ飛行機に乗り込んでしまうとケロっと苦痛が過ぎ去っていた。

自分は「乗り物に乗っている状態」が大好きなんだなぁと改めて実感した。

おそらくマイル修行僧には適性があるようだ。(マイル修行代行のご依頼ありましたらお気軽に富川までお問い合わせください)

 

加えて、デトロイト-シャーロット便は前々から楽しみにしていたものがある。

それは、アメリカ内陸部の景色を見ることだ。

 

私・富川は、飛行機の外の風景を見るのが本当に大好きな地理オタクなのだ。

高校時代には地歴部に所属し、文化祭で出品する部誌に羽田-鹿児島便の窓の外の風景についてひたすら解説する記事を書いたこともあるほどである。

 

また、センター試験(今は大学入学共通テストって言うのか…)のよくある問題で、「窓の外の風景についての説明を読み、飛行機の航路を選択する」というものがあった。

高校時代に机上の空論として幾つも解いてきたものを、実際に体験できるというのも楽しみの一つだった。

 

そして、実際に見えた景色は期待を裏切らなかった。

写真がコチラ。

 

デトロイト-シャーロット便から見えた景色



 

これは、アパラチア山脈である。

 

高校地理を学習した人には懐かしい響きだと思う。

アパラチア山脈とはアメリカ東部に位置する古期造山帯であり、石炭の採掘量が多いことで知られている。

 

アパラチア山脈が見えるまでは平地がランダムに広がっていたのが突然平行線状になり、その平行線が地平線の彼方まで続いていた。

 

この地形が「褶曲(しゅうきょく)」によりできたことを物語るとともに、そのスケールの大きさは圧倒的だった。

 

また、古期造山帯の風景は、日本国内で見慣れた新期造山帯の風景ともまた大きく違っていた。

同じ山脈と呼ぶには少し背が低いように思えたが、平行線状に伸びる褶曲の痕跡が確かに存在していた。

 

高校時代に古期造山帯という概念を覚えたときよりも何倍も鮮烈に脳裏に焼き付いた。

 

 

シャーロット国際空港に到着、フローレンスへ

シャーロット国際空港は本当に大きな空港だった。

 

しかし、シャーロットという都市の名前はこの旅で初めて知ったものであり、大空港といえば有名な都市名が付き物というイメージには反する。

おそらく観光需要の高い大都市に近くて大きな空港というよりは、地方に向かうためのハブ空港のような役割があって大きな空港なのだろう。

 

シャーロット国際空港の構内図

 

中~長距離の大都市同士を繋ぐ国内線が発着するエリアから、短距離の地方向けの国内線が出るエリアまで歩いて向かうが、一向にたどり着かなかった。

 

そして、見える飛行機の全てがアメリカン航空だった。

周りを見渡しても、日本人はおろかアジア系の人も観光客みたいな人も全然見当たらない。

 

本当に自分の知らない場所にとうとう来てしまったんだなぁと実感した。

 

シャーロット国際空港では、食欲につられるままバーガーキングで昼食を取った。

バーガーキングXL」という、明らかなアメリカンサイズが期待されるメニューを選んだ。

レタス、オニオン、ピクルスの量を選べるとのことで、せっかくなので二郎系ラーメンでいう「全マシ」で注文した。

 

大きさはコチラ。

 

バーガーキングXL全マシinシャーロット

 

とてもジャパニーズサイズの顎には収まりきらないほど大きかった。

味は想像通りの美味しさだった。

 

 

シャーロット国際空港ではニューアークデトロイトほどの長い時間潰しではなかったが、3度目の空港待機はもう精神崩壊寸前ぐらいまで嫌気が差していた。

加えて、一睡もしなかったために蓄積した疲労が限界に近付いているのを感じた。

 

読書ができるほどの集中力・空港内を散歩するほどの体力が残っていないうえに寝過ごす危険もあったため、アニメやYouTube動画を見て耐えしのいた。

 

そしていよいよフローレンス便の出発である。

最後の力を振り絞り搭乗ゲートをくぐる。

 

 

…あれ?

 

 

フローレンス便の飛行機



 

外…?そして飛行機小さくね…?

 

 

次回、フローレンス到着!

満身創痍の富川に予想外で最大の危機が訪れる―。

 

P.S. はてなブログの「ギター」グループに参加してみました

まだ全然使い慣れてないですが何卒↓↓

地獄と苦痛 - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day1-3

ニューアーク空港 = 乗り継ぎ地獄の始まり

最初の経由地ニューアーク空港への到着は、この旅の"限界"要素の一つである「乗り継ぎ地獄」の始まりを同時に意味するものである。

この旅では、全部で6本の飛行機に乗り、成田空港を含めて5か所の空港を経由するという旅程が組まれている。(なお、組んだのは自分である)

全ては最安値のためとはいえ、相当過酷である。

 

「自分は本当に、ここまで過酷な旅程を組んででもAndy Timmonsの生演奏を聴き行きたいのだろうか?」と自分自身を疑う気持ちも少なからずあった。

しかし、航空券を買い揃えて旅を始めてしまった以上もう引き返せないのだ。

 

半分諦めたような状態で、ニューアーク空港への滞在が始まった。

 

 

青シャツを着たウィル・スミス(仮称)にブチギレられる

ニューアーク空港到着後、まず入国審査に向かった。

入国審査の窓口を待っているときの緊張感は、英検の二次試験の面接会場で自分の順番を待つときの緊張感と似ているなと、ふと思った。

 

そして、ムッツリな感じのゴツくて怖そうな黒人の保安官との面接が始まる。

パスポートを渡し、指示に従いながら指紋認証を受ける。

この後は質問が飛んでくるぞと、前の人のやり取りを聞きながらシミュレートした会話内容を必死に思い出す。

 

しかし、自分が聞かれたことは前の人とはだいぶ違った。

 

保安官「お前、これからサウスカロライナ州行くん??(マジかコイツと言いたそうな表情をしながら)」

 

 

あれ、自分もしかしてヤバい奴認定された?

 

ヤバい奴認定されつつも(?)、何事もなく入国審査をパスした。

 

 

入国審査後は一旦外に出されるため、再入場するには保安検査場を通る必要がある。

 

ニューアーク空港(Cターミナル)の保安検査場は、人が通るゲート一つを挟むように荷物レーン二つが割り当てられた構造になっていた。

成田空港と同じように、コートを脱いで、リュックからiPadを出して、ポケットからスマホを取り出して、、、途中で「アメリカは靴も脱がないといけなのか」と気付きながら靴も脱いで、、、としているうちに、荷物を入れるカゴが三つほど満杯になっていた。

いざゲートを通過!と思ったら

 

 

 

ブーーーーーーー(警報音)

 

とっさに青い服を着た保安官たちの視線を浴びる。

 

まず、コートの下に着ていた上着を脱がないといけないらしかった。

脱いだ上着を保安官の人に奪われ、自分が荷物を流した方ではない側の荷物レーンにぶち込まれる。

自分はそっち側に荷物やってないです…と言いたくなったが、全く英語が口に出ない。

 

この後の荷物の回収が面倒だなぁ、、、と思いながら再びゲートへ…

 

 

 

ブーーーーーーー(二回目)

 

また保安官たちの視線を集める。

「ポケットの中モノ入ってない??!!」ってキレ気味の声を掛けられる。

右後ろのポケットに定期入れを入れっぱなしにしていたことに気づいた。

ネイティブ英語のキレ声に萎縮しかけたが、その声の主の顔がウィル・スミスに似ていると思った瞬間無性に笑いそうになってしまった。

 

ウィル・スミス(仮称)に取り上げられた片手に収まるサイズの定期入れが、スーツケースすらもスッポリ入る大きなカゴに入れられて荷物レーンに流される。

しかも、またしても自分が使っていない側の荷物レーンである。

ウィル・スミス(仮称)には迷惑をかけて申し訳ないなと思いながら再びゲートへ…

 

 

 

ブーーーーーーーーーーーーーーー(三回目)

 

ウィル・スミスがブチギレながら飛んでくる。

「オメェ、腰に何か隠し持ってるな!!???(※口調はイメージ)」と言われた。

 

安全のため、旅に持ってきた全財産のほぼ全てとパスポートをウエストポーチに入れて、服の下に忍ばせていたのだった。(成田空港の保安検査場では引っかからなかかった)

 

エストポーチもウィル・スミスに取り上げられ、仰々しく大きなカゴに入れられて違う方の荷物レーンに流された。

 

完全ブチギレ状態のウィル・スミスに、"No more surprises. (もうドッキリはナシだからな)"と言われ、再びゲートへ…

 

 

 

 

今度こそは大丈夫だった。

 

ゲートをくぐり抜けた先には、別々の荷物レーンに流された自分の荷物が溜まり散らかしていた。

周囲から妙に視線を浴びながら片っ端から回収した。

 

 

いやー、初っ端からだいぶ恥ずかしい思いをしたなぁ…。

 

 

物価が高すぎる

機内食が出されてから何も食べていなかったため、保安検査場通過後は空腹状態だった。

そのため、空港内の売店で軽食を買うことにした。

 

買ったのがコチラ

 

軽食@ニューアーク空港

"Italian Wrap"は、チーズやら肉やら野菜やらがトルティーヤみたいなペラペラのパンで巻かれたような食べ物だった。

つまり、コンビニで400円前後で売っていて健康意識が高いOLが食べてそうな、いわゆる“OLのエサ”である(偏見)。

 

飲み物と一緒に会計を済ませ、待合所のイスに座る。

レシートを確認する。20ドルか、ふむふむ。

 

 

 

 

 

 

…え、20ドル?

 

 

なんとOLのエサ(飲み物付き)が3000円弱もしたのだ。

ちなみに内訳は(確か)エサ16ドル・飲み物4ドルである。

 

飲み物だけでも500円ちょい…

 

 

円安の時期というのもあるにせよ、アメリカの物価、恐るべし……。

 

 

あまりにも暇すぎる

保安検査場もパスした、空腹も満たしたともなると、次はデトロイト便の飛行機に乗るだけである。

 

なお、出発時刻は9:57 pmである。

 

詳しくは前の記事で述べたが、ユナイテッド航空はとにかく不安要素が多く、口コミの中には「遅延が多い・遅延の対応がよくない」というのもあった。

そのため、成田-ニューアーク便が遅れても何とかなるように、ニューアーク-デトロイト便の出発時刻をなるべく遅いものに設定していたのだ。

 

軽食を食べ始めた時間が4:30 pm頃だったため、残り5時間半ほどの暇潰しを余儀なくされた。

 

しかも、約13時間のフライトを終えた後である。

既にこれでもかというほど暇潰しをしたのに、これ以上どうやって暇を潰せと?

 

本を読む。

切れがいい所まで読む。

時計を見る。

「まだ●時間もある、、、」と絶望する。

 

 

別の本を読む。

切れがいい所まで読む。

「まだ●時間もある、、、」と絶望する。

 

 

ターミナル内をひたすら歩く。

約25分をかけて一周する。(本当に大きかった)

良い運動をしたなと思いながら時計を見る。

「まだ●時間もある、、、」と絶望する。

 

 

搭乗口のモニターを確認する。

 

 

 

「遅延のため出発時刻11:00 pmになります」

 

 

 

 

 

 

ここで遅延するかぁぁぁぁぁぁ!!!!ユナイテッド航空!!!!

 

 

結局遅延に遅延が重なり、11:30 pmの深夜の出発になった。

 

 

待合所という限られた環境での7時間の暇潰し、なかなか苦痛なものだった。

 

 

デトロイト便

デトロイト便では、通路側の席だった。

だが、三列シートの横二人に座っていたアラブ系の女性たちが、とにかく巨大なお身体をお持ちだった。(とても失礼)

BMIが痩せ型から標準になっただけで『太っちゃった~』とか抜かしている日本人女性の諸君は、とにかくこの女性たちに謝った方がいい」と思ってしまうレベルだった。(多方面に失礼)

 

それもあり、自分は半ケツとまではいかないにしても、座席スペースの3割ほどが肉に圧迫された状態で座らざるを得なかった。

収まらなかった足が通路にはみ出してしまい、CAさんや飲み物のワゴンと何度かぶつかってしまった。

正直6本乗った飛行機の中で、一番居心地が悪かった。

 

だが、足がCAさんとぶつかりまくったおかげで、「Sorry」と言われたら「No problem」と脊髄反射的にと返せるようになった。

ありがとう、巨体の女性たち。(失礼)

 

 

そうこうしているうちに、飛行機はデトロイト空港へ到着した。

遅延に遅延が重なった結果、到着時刻は1:30 amを過ぎていた。

 

 

 

 

 

さて、宿へと移動しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここかな?

 

 

 

 

 

アメリカ旅行一泊目の宿(デトロイト空港の待合所のベンチ)

というわけで、次回day2は追い打ちの空港泊から始まります。

お楽しみに!

 

(更新遅くなってすみません、、、3月中にはブログ中の自分が日本に帰ってこれるように頑張ります、、、)

ユナイテッド航空でアメリカ上陸 - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day1-2

ユナイテッド航空って大丈夫?

今回の旅は、タイトルと前日譚シリーズで述べた通り「音楽のためだけ」の旅として企画している。

 

なので、往復の交通費・宿泊費を含む他の出費は必要最小限に抑えた。

 

ただ、過去記事にもした通り、往路の航空券の最安値を探すのには超絶大苦戦した。

(行きの航空券の最安値を探し出した記事はコチラ)

tommykawa-guitar-experience.hatenablog.com

 

見つけ出した往路の最安値の大きなカギの一つ、それはユナイテッド航空だった。

同じ経路でも、他の航空会社よりも下手すると半額近くも安くアメリカ大陸に上陸できるのだ。(10万円でお釣りが来た)

 

 

 

「『安い』には理由が付きもの」とよく言われるが、実際はどうなのだろうか。

 

 

 

googleで「ユナイテッド航空 評判」と検索した結果がコチラ。

 

ユナイテッド航空 評判」の検索結果

 

必要最小限の限界貧乏旅への耐性には自信があり、覚悟も決めていたはずの私・富川も不安になった。

 

 

とはいえ、どんなに冷遇されようとAndy Timmonsのライブ会場にたどり着きさえすれば十分だと割り切って、航空券を購入したのだった。

 

というわけで、ユナイテッド航空は実際どうだったのか?富川的レビューを中心に、今回の記事を書いていこうと思う。

 

なるべく最安値でアメリカに旅をしようと考える方の参考になれば、私・富川は幸いである。

 

 

いざ機内へ。座席の様子

ユナイテッド航空では、座席指定に別途料金が発生する。

これはpeachやjet starなどのLCCと同じシステムであり、格安運賃を実現する理由の一つである。

 

運良く、成田~ニューアーク便では窓側の座席だった。

 

席に座り、最初に思った感想は「膝周りが少し窮屈」だった。

おそらく座席の前後間隔は狭い設定なのだろう、ここにもコスト削減の理由が見て取れる。

(※なお、参考までに富川は身長175cmで、日本人男性の中では"大の小"あたりの体格である。)

 

足元スペースが比較的狭い(※富川の感覚に基づく)ため、座席に持っていく荷物は必要最小限にして、残りは座席上の収納スペースに入れてしまうことをオススメする。(富川は荷物を全部足元スペースに置いてしまい後悔した)

 

 

横を見ると、墨が沢山入ったイカツめな雰囲気の外国人の方が隣に座っていた。

その腕には、「珍しい」という日本語のタトゥーが彫られているのが目に留まった。

「"文字通りの『珍しい』タトゥー"とはこのことか…」と思った。

(※ユナイテッド航空とは全く関係ありません)

 

 

話を戻そう。

 

座席の設備は、リクライニング、折り畳み式テーブル、座席ポケットと他の航空会社と比べても大差はない。

椅子自体も特別ボロボロでもなく、特に不自由はなかった。

 

ただ、ちょっと気になってしまったものがコチラ↓

ヨッレヨレのボッロボロの「安全のしおり」

 

まぁ、飛行機が墜ちたりしない限り問題ないか。(超絶ポジティブ思考)

 

 

座席周りのレビューはざっと以上だ。

 

 

離陸。そして機内食

飛行機が動き出し、滑走路へと向かう。

いよいよ日本を離脱するのかと思うと、期待と不安を二つの核とした、複雑で前向きな気持ちになる。

 

助走を開始する。

滑走路のコンクリートの凹凸が、座面からの振動で身体に伝わる。

 

振動が消え、揚力がお尻を底から持ち上げる。

ついに日本の地から飛び立ったのだ。

 

離陸してから約1時間後に、軽食と飲み物サービスの時間が来た。

飲み物はソフトドリンク・アルコールの両方から選べ、種類も豊富だった。

自分は赤ワインをチョイスした。

 

軽食のプレッツェルと赤ワイン

 

プレッツェルも赤ワインも美味しくいだただいた。

 

 

その後間もなくして機内食の時間となった。

国際線の機内食あるある質問「Beef or Chicken?」を期待して待っていると…

 

CAさん「Chicken or #$%?!」

 

チキンじゃない方が聞き取れなかった。

(後でパスタだと判明した)

 

もう一つが何なのかは気になりつつも、とりあえずチキンを選択。

 

機内食(チキン)、一緒に頼んだビール

 

(暗くて見づらいかもしれないが)写真の通り、「甘辛ソースの唐揚げ定食」みたいなものが届いた。

デザートには、なんと大福まで付いている。

 

なんだ、普通に和食食べれたやん。

 

JALANAではない海外の航空会社でも、日本発着なら和食の機内食が提供されるのかもしれない。

 

もちろんインスタントではない普通の食事とは比較できないにしても、機内食としては普通に美味しかった。

(ユナイテッド航空のことを事前に調べていた際に出てきた、「ユナイテッド航空 機内食 まずい」という検索候補は何だったんだろうか)

 

 

到着までの時間潰し(オードリー若林さんの本の紹介)

ニューアーク空港到着までの所要時間は約13時間である。

機内では、出発前までに仕上がらなかった前日譚その0の記事

 

tommykawa-guitar-experience.hatenablog.com

 

を書いたり、オードリー若林正恭さんの著書「ナナメの夕暮れ」をkindleで読んだりした。

 

(とても好きな本なので勝手に宣伝する)

 

 

オードリー若林さんの文章は、自分と社会との間に感じられるズレや疎外感を優しく受け止めて前を向かせてくれるような、温かい「包容力」に溢れており、とても大好きだ。

 

先ほど紹介した前日譚その0で触れたように、自分は「(理科系の)お勉強が得意」という属性を持ち合わせていたものの、(憧れだった)学術研究の世界に上手く馴染めなかった。

博士課程に行き研究を継続する憧れの選択から、就職をして音楽活動を行う現実的な選択に切り替えた際には、無力感や挫折感を味わった。

だが、そもそも課程進学に憧れを抱く人は少数派で、少々ネガティブな気持ちで音楽活動を選択することもレアケースなため、この無力感や挫折感は周囲の共感を得られなかった。

 

社会人(兼ミュージシャン)になるという自分の選択は本当に正しいのだろうか…

 

そのようなことを考えていたとき、若林さんの著書「社会人大学人見知り学部 卒業見込」と出会い、大いに救われた気持ちになった。

(また勝手に宣伝します)

 

 

それから、今回の旅を文章として書き残したいと思ったきっかけも、若林さんの海外旅行記「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」である。

(押しつけがましくてすみません…)

 

 

とにかく、若林さんの著書はオススメなので、是非読んでみてほしい。(押しつけがましくamazonの商品リンクも貼ったので…)

 

 

ニューアーク到着

そうこうしている間に、シートベルト着用サインが点灯した。

いよいよ着陸だ。

 

外を眺めると、日本とは違って土地に余裕を感じられる風景が広がっている。

 

高度がみるみる下がり、翼の裏からマンハッタンの高層ビル群が顔を出す。

 

とうとうアメリカまで一人で来てしまった。

高揚感と緊張感とともに飛行機はゆっくりと着陸した。

ニューアーク空港着陸時の風景

 

目立った遅延もなく(むしろ予定よりも早く着いたが)、ユナイテッド航空は総じて不自由なく自分をアメリカまで届けてくれた。

 

こうして、この旅の不安要素・ユナイテッド航空を無事に突破したのだった。

「クチコミなどのネットの情報を恐れずに、自ら体験するのはとても有意義だな」と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、安心するにはまだ早かった。

旅のトラブルはいつも予想できない所で起こるのだ。

 

 

 

先に言っておくと、次回以降(ニューアーク到着後)から旅の雲行きは怪しくなっていく。

 

 

引き続き、お楽しみに。

もう一つの前日譚 - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day0-0 (前日譚その0)

Jeff Beckの死をきっかけに、何かに背中を押されるように動き出したこの旅の企画。

前日譚その1で、その動機について触れた。

 


だが、この旅に絶対に欠かせない大きく根深い背景がもう一つ存在する。

 


少々ネガティブな内容になるだろうが、「前日譚その0」として文章化しようと思う。


私・富川の学生生活

自分は幼少期から自然科学や科学技術に関する知的好奇心が旺盛で、高校までずっと理数系の教科が得意であった。(科学の甲子園というイベントにも出場したことがある)

それゆえ、自分は将来「研究・技術職で活躍する人」になるだろうと思っていたし、なりたかった。憧れだった。

 


その憧れに従うように、大学では理工学部に進学した。(なお、大学では主にサークルで趣味程度に音楽に打ち込みつつ、最小限の努力で最小限の単位をかき集める程度の勉強をした)

 


幸い、学部生の頃から気にかけて下さった先生が国際的かつ精力的に活躍する研究者だったこともあり、弟子入りを志願するようにその先生の研究室を選択した。

国際交流が盛んな研究室なので、ハイパーフッ軽、ハイパー適応力人間である自分にはとても適した環境だと思っていた。

また、先生も学生時代に音楽活動を行っていた背景を持っており、自分の音楽活動については「研究活動に支障を来さない程度であれば」と条件付きで容認して下さっていた。

そして、なるべく研究生活に支障を出さずに音楽に最大限打ち込める環境を追求し、時間的な拘束が比較的少ない即興のジャムセッションに身を置くように意識した。

 


このように、昔から憧れだった研究を第一に据えたうえで、ライフワークとしての音楽もできる、というこの上ない環境が手に入ったと思っていた。

 


しかし、研究生活の開始とともにコロナウイルス感染症が世界的に猛威を振るった。

 


今振り返れば、自分の人間的に未熟な部分が原因の大半を占めているのだが、このコロナ拡大を皮切りに自分の思い描いた学生生活の歯車が狂い始めたのは間違いないと思う。

研究室内外の交流がほぼ全てオンライン化した。

どれだけフッ軽でいようとしてもどこにも行けず、どれだけ対応力を活かしてコミュニケーションを取ろうとしてもその相手がリアルな環境にいない。

 


そして自分はこの鬱憤を、音楽活動にぶつけた。

 


コロナ禍でも、音楽活動を含めた個人活動は比較的制限を受けなかった。

対面レッスンを受けに行ったり、ネット仲間と演奏動画でコラボしたり、自分主催のジャムセッションを始めたりした。

こうして、研究活動ではどうしても感じられなかった「ハイパーフッ軽・適応力を活かせている実感」を音楽活動で得ていた。

 


それでも、自分の「研究活動を一番に考えたい」という気持ちは動かなかった。なぜなら、これまで自分が憧れて築き上げてきて手に入れた環境だったからだ。

 


しかし、研究でハイパーフッ軽・適応力を活かせている実感が湧かないまま、音楽活動が肥大化した。

気が付けば、少し前の自分では考えられないような、捨てるに捨てられない貴重なコネクションや演奏機会に恵まれつつあった。

何なら、研究よりも音楽の方が無駄なストレスを感じることなく上手く立ち回れている実感まであった。

そして、自分が憧れて志望していた博士課程への進学を選択する時期には、研究との両立が難しい状態になっていた。

 


それでも、これまで自分が活躍することに憧れ、信じて進めてきた研究を諦めきれなかった。睡眠・休息の時間を削りに削って、必死になって研究と音楽の両方に打ち込んだ。

研究室の先生や学生仲間、そして音楽仲間には、必死であることを悟られないように振る舞った。

しかし、当然この状態は長く続かなかった。突然動悸が止まらなくなり、糸が切れたように研究関係のタスクが何もできなくなった。そして失意の中、博士課程への進学を断念した。

 


その後の方針は何も考えていなかったが、惰性的に研究を続けた。

一時は大学院を今すぐにでも辞めて音楽の道に切り替えることも考え、家族も研究室も音楽仲間もギターの師匠も、周囲の何もかもを巻き込む大騒動となった。

しかし、これまで自分なりに研究第一という前提で成り立たせ、充実させてきた音楽活動を延長したところで、音楽一本で生きていける実感が湧かなかったのだった。

 


ただ、糸が切れたように研究のことが何もできない状態は変わらなかった。

使命感はあるので研究室には行くのだが、抱えているタスクをPCで表示してディスプレイを無気力に眺めているだけで1日が過ぎることが多くなった。

振り返れば、その頃の自分はいわゆる「窓際族」と化していた。

 


窓際族化は悪化の一途を辿り、流石に自分でも正常に研究活動を行える精神状態でないと悟った。

本当に申し訳ない気持ちで両親・先生と相談し、修士卒業に向けた最小限のことだけを進める方針を取ることにした。

 


そして何とか修論を書き上げ、学位審査も通り越えて今に至る。

まだ成績が開示されていないため、何とも言えない状態ではあるが、卒業は確定したと思っている。

 


第一に考えて動いていたものに挫折し、手元には「あくまで第ニ」として割り切ってやってきたはずの音楽だけが残った。(もちろん音楽活動の間は「音楽は二の次」と考えず、プロ意識を持って取り組んでいたが)

 


今の自分は「これまでずっと頼ってきた心の支えがなくなり骨抜きになった状態」に近いのだ。

 

 

 

※ちなみに、

・もともと博士志望だった

・大学院を辞めると言っていた時期があった

・惰性のみで研究を続けていた時期があった

こともあり、就活はガチ勢よりも1年以上遅れて開始したものの、何とかライフワークバランス重視の自分に合った(←まだ働いていないので何とも言えないが)企業の内定をいただけた。来年度からは社会人になる予定である。

 

私・富川にとって音楽とは?

上記のようなスタンスで音楽と向き合ってきたから、音楽に対しては結構ドライな価値観を持っていると思う。

音楽は人の感情を掻き立てたり心を一つにしたりできる素晴らしいものであることは間違いないのだが、音楽人として生きることに強い憧れがあるわけではない。(少なくとも、これまで研究に対して抱いていた憧れほど強くはない)

Twitterを眺めては「ここまで音楽に憧れられる人がいるものなのかぁ」と関心するほどだ。

何なら、自分の強い憧れである研究を現実から突き放した張本人とさえ思っているところもあるため、若干のマイナス評価もある。

 


ただ、自分には音楽が残った。

 


自分に人間的な欠陥が多数あったにせよ、コロナが世界的に蔓延したにせよ、研究にどれだけ未練を感じてるにせよ、結果として研究が抜け落ちて音楽が残った状態の自分がいる。

 


心の支えが骨抜きの状態ゆえにこの事実を受け入れられない時期が続いたが、ある日ふと逆転の発想が浮かんだ。

 

 

 

「音楽にも研究と同じぐらいの『憧れ』を感じられればいいのでは?」

 

 

 

これまでの二十数年間ずっと抱いていた研究に対する憧れほど強くできないにせよ、近づけることはできるのではないか?音楽への憧れを研究レベルに持ってこれれば、十分心の大黒柱として機能するのではないか?

 

 

 

そう思い始めていたタイミングでJeff Beckが死んだ。そして物語は前日譚その1「レジェンドって何だろう?」に続く。

tommykawa-guitar-experience.hatenablog.com

 

 

 

 


この旅は果たして、音楽への「憧れ」を強くするきっかけとなってくれるだろうか。

そういう意味でも非常に楽しみである。


(※この記事は前日譚ということで出発前に書き切る予定でしたが、嫌らしくない範囲での自分語りの加減が難しく、納得いく文章作りが間に合いませんでした。行きの機内で書き切りましたが、ご了承ください。)


f:id:tomika_is_guitarist:20230219071803j:image

 

【永久保存版?】アメリカの僻地・サウスカロライナ州フローレンスへの行き方 - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day0-3 (前日譚その3)

一つ前の記事のダイジェスト

Andy Timmonsのライブチケットを取ったが、開催地はなんとサウスカロライナ州のフローレンスという僻地だと判明!!

行き方が全く分からない!!

アメリカ現地生活が長い友人を頼るもお手上げ状態!!

ググった限りでは片道で30万円オーバー!!

詰み!!

 

今回の記事のダイジェスト

(自分には縁がないと思っていた)旅行代理店に駆け込み、フローレンスへの航空券を探す方法を教えてもらった。

そして、何とか片道12万ちょいの一人旅には妥当な価格の航空券を見つけ、無事に取ることができた!!!

今後何らかの理由でなるべく低予算でサウスカロライナ州フローレンスに行く予定ができた方は、今回の記事を参考にして頂けると私・富川は幸いである。(ちなみに、そんな日本人が後にも先にも存在するのかは甚だ疑問である)

 

"旅行代理店偏見モンスター"からの卒業

旅行代理店は、自分のようなハイパーフッ軽・ハイパー適応力な気質の人間(※前日譚その1を参照)の一人旅には無縁の存在だと思っていた。

 

一人旅の良い所は、移動手段や宿泊を含めた旅程を自分の水準で独断で決められることにあると思っている。例えば、ハイパー適応力の自分の感覚では、安全な寝泊りさえ保障されていれば十分である。一人旅では、「快適なホテルがいい!」みたいな(適応力が一般的な)同行者の都合を配慮する必要がないため、本当に気楽なのだ。

旅行代理店といえば「M泊N日で行く!エンジョイ!○○ツアー!(※イメージ)」と銘打った、いかにも「旅が常に快適で楽しいものでないと許せない人」のために旅を提供してくれる窓口という偏見があった。その類の人とどうしても旅行に行かざるを得ない場合ならまだしも、一人旅にはそんな窓口は不要だと思っていた。

 

加えて自分は、旅程を組むことをシミュレーションゲームとして楽しむ人間である。何ならシミュレートする対象が(ハイパーフッ軽な)自分自身なのだから、下手なシミュレーションゲームよりも断然スリリングで楽しいとすら思っている。

旅行代理店に行くということは、シミュレーションゲーム要素という旅の大きな楽しみを自ら奪われに行くこと(しかもお金も余分にかかる)、という偏見もあった。

 

このように、自分は"旅行代理店に対する偏見の塊に手足が生えたモンスター(旅行代理店偏見モンスター)"といっても過言ではない人間である。一人旅には、後にも先にも旅行代理店を使うことはないものだと思っていた。

だが、先述の通り(全幅の信頼を置くSGさんを以てしても)詰み確定の状態にあった。SGさんとの相談の末、「やはり旅のプロを頼るしかない」という結論に至り、大手旅行代理店のJTBに駆け込むことにしたのだった。

 

「ハイパーフッ軽・ハイパー適応力をきっかけに思い立った一人旅(※前日譚その1を参照)で、ハイパーフッ軽・ハイパー適応力が故に偏見を抱いていた旅行代理店を頼る。」という何とも皮肉な構図がこのようにして出来上がったのである。

 

結果として、この判断を取ったことで、フローレンスへの一人旅が著しく現実的なものとなった。そして自分は改心し、無事に"旅行代理店偏見モンスター"を卒業した。

 

元・旅行代理店偏見モンスター vs JTB

JTBに行って旅の相談をするには、オンラインによる事前予約が必要だった。希望する時間や、相談したい内容を所定のフォームに入力して送信する形式である。

「このフォームに『フローレンス』という地名を入力した人は後にも先にも自分だけなんじゃないか」と思いながらフォームを埋めた。

 

フォームを無事に送り、相談の予約確定のメールが届く。窓口へ行くや否や、担当の方から掛けられた言葉がコチラ。

 

「このような依頼は初めてです」

 

 

(そりゃそうだろうな…)

 

ちなみに、窓口で具体的な航空券の料金を教えてもらうには手数料が発生するみたいだ。しかし、料金が比較的安い航空券の経由地や発着時間を教えてもらう分には無料だった。その場合は当然、教わった内容をもとに、JTBのサイトやexpediaで航空券の値段を自力で確認するといった過程が必要である。

 

フローレンスへ行くことになった経緯を軽く説明すると、担当の方は「素敵なきっかけですね、無事辿り着けるにように頑張ります」と言ってくださった。そして、無料で対応できる最大限の範囲で懇切丁寧に相談に乗ってくださった。

担当してくださったJTBの方、本当にありがとうございました。

 

ああ、そして旅行代理店偏見モンスターだった頃の自分を殴りに行きたい。

 

最低価格のフローレンスへの行き方を探す

JTBの担当の方曰く、フローレンス空港に行くには、シャーロット・ダグラス国際空港(CLT)を経由することが必須になるとのこと。

また、CLTは国際空港ではあるものの日本からの直行便があまり設定されていないらしい。つまり、アメリカのどこか大きな空港を経由することがほぼ確実であるとのこと。

そしてこの2つを総合して考えると、

 

NRT(成田空港)

→【アメリカのどこか大きな国際空港(クソデカ国際空港)】

→CLT(シャーロット・ダグラス国際空港)

→FLO(フローレンス空港)

 

という経路を辿ることが確実であると教えてくださった。

 

また、自分で調べるときは、区間を「NRT→【クソデカ国際空港】」と「【クソデカ国際空港】→FLO」の2つに分けて調べるといいよ、とのこと。

 

JTB様様のおかげで必要な作業が明確になったところで、帰宅するや否や【クソデカ国際空港】の部分を色々なパターンで試し、なるべく安く行ける経路を探すことにした。

 

アメリカの東側にある国際空港という国際空港を片っ端から入れて調べた。その結果、「【クソデカ国際空港】=デトロイト・メトロポリタン空港(DTW)」とした場合が一番安いことが判明した。(下図を参照)

色々な【クソデカ国際空港】をexpediaで比較した様子

具体的な行程を説明しよう。まず、ユナイテッド航空で成田空港からニューアーク空港(EWR)を経由してDTWに行く。その後デトロイトで一泊し、アメリカン航空でDTWからCLTを経由して、晴れてフローレンスに辿り着く。

 

こうして、飛行機を4本も乗り継いで行くという、交通手段が発展しまくった現在とは思えない程度に過酷な旅程が決まった。ただ、できるだけ最安値を突き詰め、最初は30万円オーバーと出てきた航空券代が12万ちょいに収められたのは非常に喜ばしい限りである。

 

まとめ

今回の目的地であるサウスカロライナ州フローレンスを含め、「アメリカの僻地に行きたい・行く用事ができた・どうしても見たいアーティストが来る…etc」という方にとっては割と参考になる記事になったのではないだろうか。

個人的には、経由地をちょっと変えるだけで数万円も得するというのが非常に興味深かった。

 

あと、一人でも多くの旅行代理店偏見モンスターに読んでもらえることを切に願う。

(※この記事は前日譚ということで、出発前に書いたものです)

 

ライブ開催地があまりにも僻地すぎる問題!- 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day0-2 (前日譚その2)

一つ前の記事で書いた通り、Jeff Beckという世界的なレジェンドギタリストが死んだ。そして、私・富川はアメリカで行われるライブのチケットを取った。目的は、生演奏を聴きたいギタリストランキング第一位(※富川調べ)のAndy Timmonsである。

 

なお、旅程はそのライブを軸として後で考えることにしてあった。

 

ライブの運営からメールが届き、チケットの予約が無事に済んだことを確認した。

 

 

ここで、深刻な問題が浮上する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チケットに書いてある「フローレンス (サウスカロライナ州)」ってドコ?

 

 

 

 

 

 

 

 

ニューヨーク、ワシントンD.C.、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ラスベガス、シアトル、ヒューストン、デトロイトアトランタ、、、、

この辺は日本人の自分でも聞いたことあるアメリカの都市名。

 

 

でもフローレンスって??

聞いたことすらないんだが??

 

 

 

 

というか、そもそもサウスカロライナ州って何??

 

 

"サウス=South=南"っていうのは分かるけど、カロライナって何??

中目黒が目黒の中にあることは分かるけど、そもそも目黒って何?っていう話と同様である。

 

なお、目黒は山手線の下のちょい左側にあり、中目黒は目黒から都心の一駅分ぐらい西に離れた場所である。

しかし、サウスカロライナとカロライナの違いはアメリカの州単位である。もはや国の違いまである。

北朝鮮と韓国、スーダン南スーダン、東欧~中央アジアにある「○○スタン」という名前の国々ぐらい違うといっても過言ではない。

 

 

 

 

 

改めて情報を整理しよう。

どうやらAndy Timmonsのライブを観るには、名前も州の場所も行き方も分からない「フローレンス」っていう街に行かないといけないらしい。

 

 

調べたところ、サウスカロライナ州アメリ東海岸中南部にある州で、フローレンスはその中で州都ではないにせよそこそこ大きな都市だった。

空港もあり、アメリカの国内線の発着があるらしい。

 

もしかすると、海外の方からにとって「(我が故郷)宇都宮に行け」という状態に近いのかもしれない。

宇都宮がある栃木県は、北関東と言われるもはや東北みたいな扱いをされる地域にある。県庁所在地なのに、日本の小中学生の多くから前橋市(群馬県)、水戸市(茨城県)と混同される程度には知名度が低い。

でも、ちゃっかり東北新幹線の主要駅があって、50万人を超える人口規模の都市でもある。というのが、愛すべき我が故郷の宇都宮である。

 

サウスカロライナ州とフローレンスの位置

とにかく、行き方も何もかも分からないアメリカの僻地に自分が向かおうとしていることが分かった。

 

そこで、物心が付いた頃から高校までアメリカ本土で過ごしていたという約70%アメリカンなジャパニーズのギタリスト仲間SGさん(仮称)に相談をけしかけた。

 

 

 

自分「Andy Timmonsのライブを観にアメリカ行きたいんですけど相談があって…」

 

SGさん「別に相談乗るのはいいけど具体的にはどういう相談?」

 

 

確かに、行き方さえも分からない僻地に行くことを目的としたアメリカ旅行の相談を受けることになろうとは、SGさんも思ってなかったはずである。

 

 

自分「サウスカロライナ州のフローレンスってとこでライブがあるらしいんですけど…」

 

 

 

 

 

SGさん「待って、俺1回もサウスカロライナ行ったことないし行き方も分かんないwwwwww」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、SGさんにも協力してもらいexpediaで調べてみることに。

 

「成田→フローレンス」で検索。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

片道30万円オーバー

 

 

 

 

 

 

SGさん「どうすんのこれwwwwww」

 

 

 

 

早速詰みである。

 

 

 

 

この後、富川はどうしたのか、、、

 

 

 

 

 

 

 

続きはまた次回、、、!

(※この記事は前日譚ということで、出発前に書いたものです)