もう一つの前日譚 - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day0-0 (前日譚その0)

Jeff Beckの死をきっかけに、何かに背中を押されるように動き出したこの旅の企画。

前日譚その1で、その動機について触れた。

 


だが、この旅に絶対に欠かせない大きく根深い背景がもう一つ存在する。

 


少々ネガティブな内容になるだろうが、「前日譚その0」として文章化しようと思う。


私・富川の学生生活

自分は幼少期から自然科学や科学技術に関する知的好奇心が旺盛で、高校までずっと理数系の教科が得意であった。(科学の甲子園というイベントにも出場したことがある)

それゆえ、自分は将来「研究・技術職で活躍する人」になるだろうと思っていたし、なりたかった。憧れだった。

 


その憧れに従うように、大学では理工学部に進学した。(なお、大学では主にサークルで趣味程度に音楽に打ち込みつつ、最小限の努力で最小限の単位をかき集める程度の勉強をした)

 


幸い、学部生の頃から気にかけて下さった先生が国際的かつ精力的に活躍する研究者だったこともあり、弟子入りを志願するようにその先生の研究室を選択した。

国際交流が盛んな研究室なので、ハイパーフッ軽、ハイパー適応力人間である自分にはとても適した環境だと思っていた。

また、先生も学生時代に音楽活動を行っていた背景を持っており、自分の音楽活動については「研究活動に支障を来さない程度であれば」と条件付きで容認して下さっていた。

そして、なるべく研究生活に支障を出さずに音楽に最大限打ち込める環境を追求し、時間的な拘束が比較的少ない即興のジャムセッションに身を置くように意識した。

 


このように、昔から憧れだった研究を第一に据えたうえで、ライフワークとしての音楽もできる、というこの上ない環境が手に入ったと思っていた。

 


しかし、研究生活の開始とともにコロナウイルス感染症が世界的に猛威を振るった。

 


今振り返れば、自分の人間的に未熟な部分が原因の大半を占めているのだが、このコロナ拡大を皮切りに自分の思い描いた学生生活の歯車が狂い始めたのは間違いないと思う。

研究室内外の交流がほぼ全てオンライン化した。

どれだけフッ軽でいようとしてもどこにも行けず、どれだけ対応力を活かしてコミュニケーションを取ろうとしてもその相手がリアルな環境にいない。

 


そして自分はこの鬱憤を、音楽活動にぶつけた。

 


コロナ禍でも、音楽活動を含めた個人活動は比較的制限を受けなかった。

対面レッスンを受けに行ったり、ネット仲間と演奏動画でコラボしたり、自分主催のジャムセッションを始めたりした。

こうして、研究活動ではどうしても感じられなかった「ハイパーフッ軽・適応力を活かせている実感」を音楽活動で得ていた。

 


それでも、自分の「研究活動を一番に考えたい」という気持ちは動かなかった。なぜなら、これまで自分が憧れて築き上げてきて手に入れた環境だったからだ。

 


しかし、研究でハイパーフッ軽・適応力を活かせている実感が湧かないまま、音楽活動が肥大化した。

気が付けば、少し前の自分では考えられないような、捨てるに捨てられない貴重なコネクションや演奏機会に恵まれつつあった。

何なら、研究よりも音楽の方が無駄なストレスを感じることなく上手く立ち回れている実感まであった。

そして、自分が憧れて志望していた博士課程への進学を選択する時期には、研究との両立が難しい状態になっていた。

 


それでも、これまで自分が活躍することに憧れ、信じて進めてきた研究を諦めきれなかった。睡眠・休息の時間を削りに削って、必死になって研究と音楽の両方に打ち込んだ。

研究室の先生や学生仲間、そして音楽仲間には、必死であることを悟られないように振る舞った。

しかし、当然この状態は長く続かなかった。突然動悸が止まらなくなり、糸が切れたように研究関係のタスクが何もできなくなった。そして失意の中、博士課程への進学を断念した。

 


その後の方針は何も考えていなかったが、惰性的に研究を続けた。

一時は大学院を今すぐにでも辞めて音楽の道に切り替えることも考え、家族も研究室も音楽仲間もギターの師匠も、周囲の何もかもを巻き込む大騒動となった。

しかし、これまで自分なりに研究第一という前提で成り立たせ、充実させてきた音楽活動を延長したところで、音楽一本で生きていける実感が湧かなかったのだった。

 


ただ、糸が切れたように研究のことが何もできない状態は変わらなかった。

使命感はあるので研究室には行くのだが、抱えているタスクをPCで表示してディスプレイを無気力に眺めているだけで1日が過ぎることが多くなった。

振り返れば、その頃の自分はいわゆる「窓際族」と化していた。

 


窓際族化は悪化の一途を辿り、流石に自分でも正常に研究活動を行える精神状態でないと悟った。

本当に申し訳ない気持ちで両親・先生と相談し、修士卒業に向けた最小限のことだけを進める方針を取ることにした。

 


そして何とか修論を書き上げ、学位審査も通り越えて今に至る。

まだ成績が開示されていないため、何とも言えない状態ではあるが、卒業は確定したと思っている。

 


第一に考えて動いていたものに挫折し、手元には「あくまで第ニ」として割り切ってやってきたはずの音楽だけが残った。(もちろん音楽活動の間は「音楽は二の次」と考えず、プロ意識を持って取り組んでいたが)

 


今の自分は「これまでずっと頼ってきた心の支えがなくなり骨抜きになった状態」に近いのだ。

 

 

 

※ちなみに、

・もともと博士志望だった

・大学院を辞めると言っていた時期があった

・惰性のみで研究を続けていた時期があった

こともあり、就活はガチ勢よりも1年以上遅れて開始したものの、何とかライフワークバランス重視の自分に合った(←まだ働いていないので何とも言えないが)企業の内定をいただけた。来年度からは社会人になる予定である。

 

私・富川にとって音楽とは?

上記のようなスタンスで音楽と向き合ってきたから、音楽に対しては結構ドライな価値観を持っていると思う。

音楽は人の感情を掻き立てたり心を一つにしたりできる素晴らしいものであることは間違いないのだが、音楽人として生きることに強い憧れがあるわけではない。(少なくとも、これまで研究に対して抱いていた憧れほど強くはない)

Twitterを眺めては「ここまで音楽に憧れられる人がいるものなのかぁ」と関心するほどだ。

何なら、自分の強い憧れである研究を現実から突き放した張本人とさえ思っているところもあるため、若干のマイナス評価もある。

 


ただ、自分には音楽が残った。

 


自分に人間的な欠陥が多数あったにせよ、コロナが世界的に蔓延したにせよ、研究にどれだけ未練を感じてるにせよ、結果として研究が抜け落ちて音楽が残った状態の自分がいる。

 


心の支えが骨抜きの状態ゆえにこの事実を受け入れられない時期が続いたが、ある日ふと逆転の発想が浮かんだ。

 

 

 

「音楽にも研究と同じぐらいの『憧れ』を感じられればいいのでは?」

 

 

 

これまでの二十数年間ずっと抱いていた研究に対する憧れほど強くできないにせよ、近づけることはできるのではないか?音楽への憧れを研究レベルに持ってこれれば、十分心の大黒柱として機能するのではないか?

 

 

 

そう思い始めていたタイミングでJeff Beckが死んだ。そして物語は前日譚その1「レジェンドって何だろう?」に続く。

tommykawa-guitar-experience.hatenablog.com

 

 

 

 


この旅は果たして、音楽への「憧れ」を強くするきっかけとなってくれるだろうか。

そういう意味でも非常に楽しみである。


(※この記事は前日譚ということで出発前に書き切る予定でしたが、嫌らしくない範囲での自分語りの加減が難しく、納得いく文章作りが間に合いませんでした。行きの機内で書き切りましたが、ご了承ください。)


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