トミカワコラムその3:“ストイック”という言葉の違和感

おはこんばんちは、富川です。

 

しばらくブログを放置する癖を直したいなーというきっかけで始めた「トミカワコラム」が放置されてるなーという現状を何とかしたいなー…という考えが脳の片隅にへばりついていた。

そんな日々を過ごすうちに、ふと”ストイック”という言葉について自分がボンヤリと違和感を抱えていたことに関して、シュッと言語化できる実感を得たのだった。

またブログの放置が続く恐ろしさを感じながら執筆を開始した—

 

私・富川の経験と”ストイック”への違和感

自慢げな印象を受けるかもしれないが、私は学生時代に「”ストイック”だね」とよく言われた。

例えば、中学時代に学校で一番”ストイック”な部活の陸上部に所属し、来る日も来る日も校庭を走り回っていた。

 

走り回りすぎたことが原因で、腰椎分離症になった。

でも当時の自分は、この程度の練習量で腰椎分離症になる自分の身体の脆さに嫌気が差していた。

 

そんな当時、”ストイック”と言われるたびに違和感を覚えていたのだった。

だが、その違和感の正体は分からなかった。

 

身近な人から学んだ”ストイック”

“ストイック”という言葉に違和感を抱いていた私・富川にも、その”ストイック”さに感心した身近な人がいる。

普段セッション等の音楽イベントでお世話になっている某店の店主さんである。

お話をする度に、「良い音楽を自由にできる環境を提供したい」という強い思いを感じるのだが、その強烈さにいつも圧倒される。

とある日に訪問した際には、「さっき車にはねられてちょっと身体が痛いけど、お店のイベントがあるから戻ってきた」と笑っていたこともあった。

 

率直に言って、狂っている—

 

そう思った瞬間、霧が去るように”ストイック”への違和感が消えた気がした。

 

自分が“ストイック”の判定に厳しかったからこそ、「この人の”ストイック”は本物だ」という実感があったのだろう。

 

恐らく、自分が”ストイック”という言葉に対して抱えていた違和感は「当の本人にとっては何でもない」という部分にあるのかもしれない。

 

そんな”ストイック”な店主さんとの雑談で、「Andy Timmonsの曲を練習していたら指先の皮が化け物のように剥けてしまった」という話をした。

 

すると、店主さんは「ストイックだね~」と感心した様子だった。

 

なるほど、自分も”ストイック”なのかもしれない。

そう思いながら、今日も粛々とAndy Timmonsの曲の練習に取り掛かるのだった—

(1000字)

写真上の左~中央に注目すれば"某店"の名前が分かる写真

 

トミカワコラムその2:絵画の話2~ジャクソン・ポロック~

One: Number 31(MoMAにて撮影)

第二回目のトミカワコラムの題材は、ズバリこの絵である。

「オイオイオイ、二回目で急にこんな抽象画を語り始めやがって…芸術分かってます気取りか?!」なんていう印象を受けるかもしれないが、そんなことは気にせずこの絵を紹介する。

というのも、自分が音楽を通じて得てきた経験と通じるものがあって題材にしやすいなと思ったので、書くことにしたのだ。

 

ちなみに、この絵は注釈にもあるように、NYの近代美術館(MoMA)で見たものである。アメリカを一人旅したときのものだ。

※NY在住の日本人画家・トミナガさんという神ガイドが付いていてくださったので、こうして語れるほど詳しくなっている。HISさんの神パッケージプランに大感謝。

 

抽象画とセッション

この絵はズバリ、ランダムに絵の具を飛び散らかしただけの絵である。

これはdisでもなんでもなく、事実そうやって描かれた絵なのだ(スプラッタリングという技法が使われている)。

 

ガイドのトミナガさん曰く、この絵は「どのタイミングで止めるか」が絶妙であるゆえに芸術ポイントが高いのだという。

 

さて、見出しでも述べている「セッションとの関係性」についてだが、セッションの全てが即興(アドリブ)で成立する音楽であるゆえに、思った通りの演奏になるわけがないという特徴がある。つまり、演奏の全てが「ランダム」なのだ。

 

セッションあるあるなのだが、例えばソロが回ってきたときに「理論通りのスケールで弾けているか」「思い描いた通りのフレーズを弾けているか」「速いパッセージを正確に弾けているか」…etcを意識しがちな人が多いように思える。

もちろん練習段階では絶対に意識すべきことではある。

しかし、ほぼ何も決まっていない状態の音楽を他者と一緒に成立させている以上、すべては自分の思い通りになるわけがないのだ。

加えて、先ほど挙げたようなアドリブの「ミクロ」な部分を意識しすぎるあまりに、アドリブソロの尺が長すぎてしまったり、尻切れトンボな印象になってしまったりすることがある。

 

そこで、この絵のように「アドリブはランダムだと割り切る、そのうえでどのタイミングで止めるかを意識する」という視点を持つのも大事なことではないだろうか。

とはいえ自分も長く弾きすぎちゃうことがよくあるので、自戒も含めて大事にしていきたい。

 

P.S.

絵の題名「One: Number 31」の無機質な感じもカッコいいなと思っている。鷺巣詩郎さんの新劇エヴァのサントラもそんな感じだったなぁ…

(998文字)

トミカワコラムその1:絵画の話1~東山魁夷~

お疲れ様です!富川です!

 

春休みにアメリカを一人旅してきた話をブログにしようとして始めた当ブログですが、、、

書き始めたら大作を書こうとしちゃうという悪い癖が発動してしまい、半分放置の状態になっております。

(実はこのブログが2つ目のブログなのですが、1つ目の方も同じ理由でずっと放置しております…)

 

ここで、新コーナー「トミカワコラム」というものを新設して、1000字という字数制限を設けつつ更新頻度を上げよう!みたいなことを始めることといたしました。

皆さん何卒よろしくお願いいたします!

 

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私・富川という人間は、一人の社会人として生活を成立させつつ、エレキギターという媒体で音楽表現をすることで芸術活動を行っている。

放置しまくっている大作「音楽探求のためだけにアメリカを一人旅した話」シリーズの出来事があってアメリカから帰国してからというもの、私・富川は”プロ”という概念を一旦放置して、完全に”アーティスト”であることを重視して音楽に関わるよう決心したのだった。

 

そう決意するきっかけとなった大きな原体験の一つに、東山魁夷の絵画がある。

 

東山魁夷との出会い

はっきりとは時期を覚えていないが、中学生の頃である。

地元・宇都宮の美術館で「東山魁夷展」なるものが開催されるとのことで、親に半分引きずられるような形で見に行ったのだった。

それまで自分は、美術館を「四角くてフカフカした黒い椅子に腰かけて、妙にノンビリとやって来る親を待つ退屈な場所」だと認識していた。

今回も、ヒガシヤマカイイとかいうよう分からん画家の絵を妙にノンビリと見る親に付き合うしかないのか…と思いながら、後部座席に腰かけていたのだ。

 

しかし、東山魁夷の絵と対面するや否や、絵に釘付けになったのだった。

逆に親が「まだ?」みたいな顔で自分を見ており、これまでとは完全に立場が逆転していたのだった。

 

吸い込まれるように、その場から一歩も動けなくなる感覚。

自分とその絵の間に漂う時間だけが止まって感じる感覚。

 

今思えば、”アート”を感じた初めての体験だった。

東山魁夷の代表作「緑響く」

 

東山魁夷の絵画と理想のギタリスト像

東山魁夷の絵画は、「抽象的表現であるが故に美しい」という印象を受ける。

ピクセル的にそれ以上細かく描写してしまっては、せっかくの美しさが台無しになるのだ。

 

ピクセル的な細かさは、ギターでいう「速弾き」や「テクニック」、ひいては「上手さ」という言葉に形容されるものだと思う。

確かにレンブラントのように、どこを拡大しても筆で描いたとは思えない繊細なタッチを特徴とする名画家は存在するし、その技術は時代を超えて脱帽するに値するものである。

だが、自分はポール・ギルバートやイングヴェイ、ガスリー・ゴーヴァンに代表される、速弾きやテクニック的な上手さを兼ね備えている訳ではないのだ。

しかし、いや、だからこそ、東山魁夷の絵のように「抽象的表現ゆえの持ち味」を出すことで、中学生時代の自分のように”アート”を感じてもらえるようなギタリストでいたいと思うのだ。

(994文字)

Southern Hospitalityに触れたフローレンス最終日 - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day4

余韻に浸る朝

目が覚めたのは8:00 am頃だった。

朝風呂に浸かり、ホテルの無料朝食を食べ、11:00 amのチェックアウトを待つことにした。

 

チェックアウトを待っている間も、余韻はずっと抜けなかった。

ライブ中に撮った動画を見たり、サインを眺めたり、スマホで自分のツイートの数字が増えていく様子を眺めたりして昨日の出来事を思い返しながら、ベッドやソファーでゴロゴロダラダラしていた。

たぶん、ニヤニヤしすぎて今にも溶けてしまいそうな表情をしていたと思う。

 

すると、Twitterに驚くべき通知が届いた。

なんと、Andyが自分のツイートを引用RTで反応してくれたのだ。

 

本人に認知されて反応もいただけるとは、、、Andyファン冥利に尽きすぎる出来事であった。

 

 

そのまま特に何をするでもなく余韻に浸るうちに11:00 amになった。

フロントでチェックアウトを済ませ外に出た。

 

暇潰しカムバック

ホテルから出た瞬間、約12時間もの暇潰しタイムが始まった―

 

前日譚その4で述べた通り、Andyのライブを見たらもうフローレンスに用はなく、電車(Amtrak)でNYに行くのみである。

tommykawa-guitar-experience.hatenablog.com

(↑前日譚その4)

 

なるべく早くフローレンスを去ってしまって、見どころ無限のNYに行くように計画すればよかったのだが、非常に情けない理由でこの時間(深夜発)の電車に乗らざるを得なくなったのだ。

 

というのも、NYの宿のチェックイン日を間違って1日後にして予約してしまったのだった。

(しかも予約変更不可とのことである。)

 

宿無しの状態で夜を過ごすわけにもいかないが、無駄な出費も抑えたい。

何とかして一晩を安全に過ごさなければ…

 

そう思い、捻り出した苦肉の策が「NY行きの列車を夜行にして、電車の中で一泊を過ごすこと」だった。

頭が良いのか悪いのか分からない解決策を取ったのと引き換えに発生したのが、12時間の暇潰しタイムなのだ。

 

 

まず立ち寄ったのが、フローレンス群博物館(Florence County Museum)である。

 

フローレンス群とは、サウスカロライナ州をもう一段階細分化した括りで、名前の通りフローレンスを中心に広がるエリアである。

この「群(County)」は、日本で例えれば「県」に近いかもしれない。

そうなると、「州(State)」は関東地方、九州地方みたいな「地方」に近いのかも。

総じていうと、Florence County Museumとは「フローレンス県フローレンス市(県庁所在地)にあるフローレンス県立博物館、みたいなイメージだろうか。

(ちなみに道を挟んだ反対側には、ライブ会場のFMUがある)

 

入り口には「銃の持ち込み禁止」の注意書きがあり、日本では絶対に感じられないアメリカを感じたのだった。

銃(忍ばせられる武器)持ち込み禁止の注意書き

 

なお、博物館の展示内容は下記の通りである。

 

アメリカ独立戦争のとき南部で活躍した伝説の英雄「フランシス・マリオン(Francis Marion)」の特別展

【補足】

Francis Marionは、日本人感覚でいう「ご当地の戦国武将(または幕末志士)」みたいな扱いなのだろう。
新潟県の博物館に行ったら「上杉謙信の特別展」があった、鹿児島県の博物館に行ったら「西郷隆盛の特別展」があった…etcみたいな感覚だと思う。

ちなみにAndyのライブ会場のFMUの正式名称はFrancis Marion Universityで、新潟大学上杉謙信大学、鹿児島大学西郷隆盛大学と名付けられているようなものと考えていいのかも。

地元から相当愛されているご当地ヒーローなんだろうなぁ~と思う富川であった。(補足おわり)

 

地球誕生から始まる(地学的・歴史的な)
フローレンス群の成り立ちについての展示

 

(おそらく地元で活躍した画家による)絵画の展示

 

結局ここでは1時間半ほど展示を見て時間を潰せた。

(規模がそこまで大きくなく、解説の内容が英語でよく分からない状態にしては頑張ったと思う)

 

展示を見るのに飽きたため、休憩用のソファーに座りSNSを眺めた。

日本時間では深夜3時前だったのだが、とある友人がツイキャスで深夜の雑談配信をやっていた。

「これは時間潰しにありがたすぎる!」と思い、配信に参加した。

日本語を話している声を聞くだけで、もはや安心を通り超えて感激してしまった。

というのも、SNSのチェックや読書をしていることもあり文字での日本語には触れていたのだが、音声での日本語とは隔絶されていたのだ。

 

友人のツイキャスが終わると同時に、暇潰しタイム再開のゴングが鳴る。

明らかに暇そうにしている姿に見かねたのか、配信が終わってすぐのタイミングで博物館の方から「お土産にどうぞ」と展示絵のマグネットをプレゼントしてくれた。

 

お土産にくれたマグネット(と暇潰しに座ってたソファー)

 

ずっと博物館に居座り続けるのも申し訳ない気分になったので、街中を散策した。

 

散策しながら撮った写真をいくつかピックアップする。

 

フローレンス市街地を散策中の写真

これらの写真から、フローレンスの街の雰囲気が伝われば幸いである。

 

しかし、知らない場所を歩くことが大好きな自分も、さすがに1時間ほどで完全に飽きてしまった。

 

 

本当にすることが無くなり、暗くなるまでは公園のベンチに座って読書をすることにした。

それからAmtrakの待合室に行こう―

 

しかし、こういうときに限って、時間というものは簡単には過ぎてくれないものだ。

 

本を見つめながら途方に暮れていると、向こうから“Hey! What’re you doing??” という声がした。

顔を上げると、女性職員さんが手を振っていた。

 

 

Southern Hospitality

女性職員さんは自分が深夜発のAmtrakに乗ることを知っており(前日に話をしていた)、「こんな所で時間潰してたの????」と、笑いながら話しかけてくれた。

そのまま話を進めていくうちに、この期に及んでやっと女性職員さんの名前が”Pam”さんだということが分かった。

 

Pamは「美味しいスムージーあるから飲む?」と、昨日の夕食に引き続きご馳走してくれた。

お礼を言うと、Pamは「全然いいのよ!私はあなたのサウスカロライナのママ(South Carolina Mom)だから!」と言ってくれた。

 

そして、続けざまに「今からFMUに戻るけど、もし行くあてがなければ閉館まで中にいていいよ!」と言ってくれた。

 

 

この辺りのタイミングだっただろうか、「Andyたちもあなた(Pam)も含めて、あまりにも自分に親切すぎてビビってる」みたいなことをPamに言った。

すると、「南部の人たちは昔からね、外から来た人を温かく迎え入れる習慣があるのよ。”Southern Hospitality”って言うんだけどね!」と教えてくれた。

 

 

こうして、私・富川は閉館時間までFMUで待機することになった。

FMUでは、Pamが自分のことを混血の男性職員の方(名前を聞いたが思い出せない…)に紹介してくれ、その男性職員さんに館内を案内してもらった。

特に、メインホールは壮観だった。

なんと、クラシックコンサートからロックバンドのライブまで、あらゆるジャンルの演奏に対応可能かつ雰囲気もマッチしている、というとんでもなくカッコよくて広い会場なのだ。

 

FMUのメインホール

 

案内中、男性職員さんに「日本ではどんな音楽が流行ってるの?」と聞かれたので、米津玄師のKICK BACKをオススメした。

すぐさまSpotifyを開いては聴いてくれて、「Very cool!!!」と言ってもらった。

おそらく、サウスカロライナ州フローレンスで米津玄師が再生された世界初の瞬間だっただろう。

 

FMUの案内が終わり、Pamが「家族の夕飯として”Chick Fil A”という(マックでいう)チキンフィレオが美味しいハンバーガー屋をテイクアウトで買いに行くから、Tommyも一緒に来てよ!」とのことで、車に乗せてもらった。

Pamの車は日本車(確かホンダのフリード)で、「そっか、お前もはるばる日本から来たんだな」と勝手に親近感を抱いた。

FMUに戻るや否や、チキンフィレオをいただいた。

ポテトが網状になっているのがとても印象的だった。

 

Chick Fil Aのチキンフィレオ(?)のセット

 

閉館時間になり、いよいよPamともお別れだ。

Pamはサウスカロライナのママとして、本当に自分によくしてくれた。

第一、FMUにライブ会場の下見に行ったときにPamがいたのが奇跡の始まりだったのだ。

下見のときにPamと会えていなければ、AndyのMasterclassに案内してもらえたことも、Andyのギターを弾かせてもらえたことも、Andyに自分の演奏動画を見てもらえたことも、アンディーズの温かさに触れたことも、、、全て起きえなかったかもしれない。

 

FMU近くの豪華なホテルの部屋に入った瞬間、ビックリしたなぁ…

腹ペコだったときにご馳走してくれたメキシコ料理、美味しかったなぁ…

話の途中で“Crazy”って反応してたときの表情、面白かったなぁ…

暇すぎて途方に暮れていたときに声を掛けてくれた瞬間、ホッとしたなぁ…

 

Pamが自分にしてくれた全ての出来事がフラッシュバックし、様々な感情が沸いて溢れそうになった。

別れのハグをしながら、自然と口から”I miss you”という言葉が出ていた。

 

思い出すとちょっと恥ずかしいが、感動的な思い出である。

 

 

そのままFMUを後にして、Amtrakの待合室に向かった。

待合室では3時間ほど過ごしたはずなのに、あっという間にAmtrakの出発時間になっていた。

添乗員の方に案内されるまま車内に乗り込み、空いている席に腰かけた。

 

Amtrakのホームにて

 

車輪が軋む音を立てて列車が動き出した。

PamやアンディーズのSouthern Hospitalityに触れたフローレンスともお別れである。

寂しいような、嬉しいような、、、今すぐ泣き出したい気持ちになった。

 

ありがとう、フローレンス。

(NY編に続く)

辛うじて車内から撮れたフローレンスの駅名標。"Florence, SC"と書いてある。

My guitar hero “Andy Timmons” - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day3-3

突然の夕食のお誘い

女性職員さんが話を付けてくれて泊まることになった豪華ホテルの部屋のソファーに座りながら、自分に一体何が起きたのかを振り返っていた。

ライブ会場に突撃して女性職員さんに話しかけたあたりからの出来事が、あまりにも急展開すぎて頭の整理が追い付かなかったのだ。(詳しくは前回記事をご覧ください)

 

登場人物が全員聖人なのだけは分かるのだが…。

 

 

といった考え事をしていると、部屋の電話が鳴った。

 

 

「フロントに来てください」

 

 

やばい、、、自分ここにいちゃダメだった??もしかして??

と心配しながらフロントに向かうと、女性職員さんが手を振っていた。

 

「ライブまで時間あるし夕食行こうよ!ご馳走するよ!」

 

 

(え!いいんですか…?)

 

 

最初は畏れ多すぎて「お腹あまり空いてないんで…」と遠慮したが、女性職員さんのゴリ押しに負けてお言葉に甘えることにした。

 

メキシコ料理かハンバーガーか好きな方選んで!とのことだったので、メキシコ料理がいいですと答えた。

アメリカに到着してから、物価の高さにビビってほぼハンバーガーかスナックしか食べてこなかったためである。(day1-2、day2-1参照)

 

店に入ると、お通しのタコスチップスが出された。

食べたいものを聞かれたが、メニューを見てもよく分からなかったので、女性職員さんのオススメに任せることにした。

女性職員さんオススメの料理は、鶏肉や玉ねぎやピーマンが入った炒め物を、煮豆や米などと一緒にトルティーヤで包んで食べるものだった。

ハンバーガーとスナック漬けのジャンキーな食生活が続いたこともあり、涙が出るほど美味しかった。

普段は野菜をあまり食べない自分も、珍しく野菜が美味しいと心底感じた。

女性職員さんがご馳走してくれた夕食

 

 

女性職員さんは目の前の見慣れないアジアの異邦人に興味津々な様子で、食事中はずっと質問攻めに遭っていた。

内容は、

  • どういう経緯でフローレンスに来たのか
  • 自分(富川)がどういう人なのか
  • どうやってAndy Timmonsを知ったのか…etc

その様子は(ややフランクな)就活の面接さながらである。

 

そして、30秒に1回は女性職員さんから”crazy”と言われつつも、よくここまで来たねと褒めてくれた。

やはり自分の行動のクレイジーさは、国境や言語や人種を越えて認められるものらしい。

 

かなりの量が出されたため食べ残しが出たが、店員さんに言えば紙パックに入れてテイクアウトできるとのこと。

そして、女性職員さんから「明日の昼ごはんにでも食べてね」と渡してくれたのだった。

ホテルの部屋に置きに行った後、ライブ会場に向かった。

 

 

本命のライブ

実はライブの前(masterclassの直後)に、Andyが「何かライブで聴きたい曲あるあればリクエスト応えるよ!」という神ファンサービスをしてくれていた。

そこで、(本当は全曲聴きたかったのだが)Cry for YouとElectric Gypsyをチョイスした。

この2曲は、Andy Timmonsを象徴する曲、Andy Timmonsを知らない人に勧めるとしたら絶対に外せない曲である。

ベタなチョイスともいえるが、飽きることなくずっと大好きで何度も何度もギターでなぞってきた曲でもあるのだ。

 

ライブはmasterclassと同じ会場で、Andyオリジナルのカラオケ音源に合わせてギターを演奏するというスタイルだった。

会場に到着すると、アンディーズのJulieとJohn(前回記事参照)が「こっち!こっち!」と手を振って最前列に案内してくれた。

ライブの開始を待つAndyも”Hey, Tommy!” と笑顔で迎えてくれた。

そして、ライブ後に販売する物販のCDをお土産としてプレゼントしてくれたのだ(!)

 

本当にAndyからは至れり尽くせりの限りで受け止めきれないほどのファンサービスを受けており、申し訳ないすらも感激すらも通り超えたかつて感じたことのない複雑な幸福感で一杯になった。

 

この複雑な幸福感に浸りつつ興奮しながら待っていると、Andyがトークを始めた。

いよいよライブ開始だ。

 

 

AndyはMCトークも上手いようで、おしゃべりするたびに観客の笑いを誘っていた。

そして、”Do you like Rock’n’roll ????”というAndyの煽りから、一曲目の”Deliver Us”が始まった。

 

圧縮も脚色もされていない、解像度100%のAndyの音が身体を突き刺す。

その瞬間から、言葉にならないほど衝撃を受けた。

それまで何千回と再生して聴いてきたはずの音なのに、新鮮に感じる。

 

そして、彼が間違いなく”ギターヒーロー”であることを確信した。

おそらくこのときの自分の目は、漫画「僕のヒーローアカデミア」で例えると、幼少期の緑谷出久オールマイトを見ているときの目をしていたと思う。

この旅で求めていた音楽の「憧れ」に出会えた―そう強く感じた。

 

その後、“On Your Way Sweet Soul”のようなエモーショナルなバラードから、”Super ’70S”のようなド直球のロックや、”Groove or Die”のような難関曲まで、実に多彩な曲が続いた。

それら全てに、Andy Timmonsというヒーロー像が鮮明に映し出されていた。

 

ライブの様子

 

一通り弾き通したところで、AndyがMCで「なんと今日は日本からはるばる来てくれた人がいます!!!」と言い、自分の方に手を向けて紹介してくれた。

すると、他の観客の皆さんから温かい拍手を浴びたのだった。

少々恥ずかしい気持ちになりながらも、感謝の気持ちとともに拍手にお辞儀で応えた。

 

そして、Andyは「そんな彼がリクエストした曲です!”Cry for You”」と続け、Cry for Youの演奏が始まった。

数時間前に自分の演奏を見てもらった曲を、答え合わせのように本人が演奏する。

もうこれ以上ない感無量である。

数曲続けた後、もう一つのリクエスト曲Electric Gypsyも演奏してくれたのだった。

 

 

さらに、出発前にこのブログで書いた伏線を回収するかのような演奏もあった。

なんとAndyがJeff Beckを追悼して、彼の代表曲’Cause We’ve Ended as Lovers(哀しみの恋人たち)を演奏したのだ!

 

演奏自体は当然のことながら素晴らしいものだったのだが、自分はそれ以上にこみあげてくるものがあった。

 

Jeffの死が本当にAndyと自分を繋いでくれた―

 

このことを強く実感したのだった。

 

注)この旅を実行に移した一番の動機がJeff Beckの死だと綴ったのが、このブログの初投稿である↓↓

 

tommykawa-guitar-experience.hatenablog.com

 

 

この夢のような時間は一瞬で過ぎ去ってしまい、ライブは終演となった。

 

(自分のTwitterにライブの様子をアップしているので、是非見てみてください!)

 

 

ライブ後は、余韻に浸るようにAndyと観客の交流の時間となった。

観客たちが、Andyと話したりサインを貰ったりしていた。

また、この時間ではライブの機材(エフェクターボード、アンプ)も自由に見てよく、Andyが如何に分け隔てなくオープンな人なのかが伺えた。

(そして今となって機材の写真をあまり撮らなかったのを後悔している)

 

このタイミングでは、他の観客の方々から声を掛けられた。

「本当に日本から来たの?!」

「Andyの大ファンなんだね!!」

「君もギターを弾くの??」

みたいなことを聞かれたのだった。

話を交わした一人は、バークリー音大出身のギタリストで、お互いのYouTubeをチャンネル登録し合うこともした。

 

Andyの元に集う人が減り始めた頃合いを見て、自分もAndyのもとに駆けつけた。

プレゼントしてくれたCDにサインしてもらい、アンディーズの方々に感謝を伝え、固い握手を交わして会場を後にしたのだった。

 

 

ホテルに戻ってからも、ライブの余韻は全く抜けなかった。

シャワーを浴びた後、ベッドに横たわりながらAndyと撮った写真を眺めたり、Andyのサインを眺めたり、演奏を思い出したり……

 

余韻に浸りながらTwitterにAndyと会ったことをツイートしたところ、たちまち日本のAndyファンや友人たちに広まり、沢山の反響をいただいた。

いわゆるプチバズの状態になったのだが、現代人がSNSで満たす承認欲求以上に、ライブの余韻が強く残っていた。

 

ただ、見ず知らずの場所で人が歩かないような道を6 kmも歩いたり、聖人たちから頭の整理が追い付かないほど至れり尽くせりのおもてなしを受けたりしたことで、心身ともに疲労が蓄積していた。

そして、スマホの電池が切れるように眠りについたのだった。

 

しかし、いつ思い返しても夢のような時間だったなぁ。

(つづく)

プレゼントしてくれたサイン入りCDとライブチケット

聖人Andy Timmonsとの邂逅 - 音楽探求のためだけにアメリカを一人旅した話day3-2

Andy Timmons’ master class

女性職員さんに導かれるまま、masterclassが開講されている部屋にたどり着いた。

たまたま遅刻してきたFMU(ライブ会場の大学)の学生と一緒に中に入り、空いていた席に座った。

 

 

あまりの突然の出来事に、理解が追い付かなかった。

 

 

「今、前で喋っているセンター分け白髪の白人小太りオジサンは紛れもないAndy Timmonsだよな…?

 

ええと、IbanezのRGシリーズのボディ形状で、2トーンサンバーストの色、メイプル製で22フレットの指板、SSHのピックアップ配列、ピックガードの先っちょが割れた状態で使用感のあるギターを持っている。

 

間違いない。この人はAndy Timmonsだ。」

 

…こんな感じで頭の中がぐるぐると混乱していた。

 

 

masterclass自体はもちろん英語だったため、ここまで気合コミュニケーションで凌いできた純ジャパニーズの自分は何を言っているのか聞き取り切れなかった。

 

突然Andy Timmonsのmasterclassに放り込まれることを想定できていたら、もっと意欲的に英語学習に取り組めたのに…と後悔した。

(前々から想定していたら、それもそれで逆に怖いが…)

 

 

終始Andyが何を言っていたのかあまり聞き取れなかったが、一つ非常に興味深いことを知ることができた。

 

それは、Andyが(絶対)音感を持っていないことだった。

 

 

それが判明したきっかけというのも、(日本からわざわざフローレンスまで会いに来る人がいるほど)目の前の講師が素晴らしいミュージシャンだということを知らなさそうな態度で、ドレッドヘアの黒人の学生が絶対音感の有無について質問したことだった。

ドレッドヘアの彼はどうやら絶対音感持ちのようで、Andyが適当に”hey”と言った音を当ててイキっていた(ように感じた)。

 

それに対して、Andyは「(君の絶対音感は)素晴らしいスキルだね!ちなみに自分は(絶対音感を)持ってないけど~…」と、絶対に為になる話を続けた。

 

しかし、気合コミュニケーション頼り純ジャパの自分には聞き取れなかった。

 

突然Andy Timmonsのmasterclassに放り込まれることを想定できていたら、もっと意欲的に英語学習に取り組めたのに…と後悔した。(2回目)

 

 

Andyのファンサ

Masterclassが終わった直後、自分は興奮を抑えきれずAndyに突撃した。

緊張で気合コミュニケーションすら成立したか怪しかったが、自分がAndyのbig fanで、ここでライブがあると知って日本から来たと伝えた。

Andyは驚きつつも、喜んでくれた。

なんと、つい先ほどまで使っていたというピックをくれた。

 

さらに、一緒に写真を撮ってもらった。

 

ブログのアイコンにもしている写真である



 

その後も会話は続き、自分がAndyのライブ映像を何度も見ていること、Cry for Youという曲のライブ映像については感激しすぎてライブで再現したこと(前日譚その1参照)を伝えた。

 

 

 

すると、Andyが信じられないことを言った。

 

 

 

 

 

 

「よかったらこのギター弾く?そのCry for You弾いたときのギターだよ!」

 

 

 

 

今でもにわかに信じがたいが、Andyのギターを触らせてもらったのだ。

 

Andyのギター(本物)を弾かせてもらっている富川(撮影者:Andy Timmons)



 

ファンとしてあまりにも感激がすぎるサービスを受けてしまった。

それも、日本からフローレンスにまで来るクレイジーな見ず知らずのファンに対して、嫌味も裏表も分け隔てもなく接してくれたのだ。

 

Andy Timmonsは、国籍や言語の壁を越えたそんな「人間としての良さ」を強く感じられる聖人オーラを纏っていた。

 

 

アンディーズと女性職員さんの神おもてなし

Andyのファンサを受けたり話し込んだりしているうちに、周りがAndyの同伴者2人(同世代の地元仲間みたいな雰囲気)と、masterclassに導いてくれた女性職員さん、Andyと自分を含めて5人だけになっていた。

自分が4本の飛行機を乗り継いで来たこと、約6 km先のホテルから歩いて会場に来たことなど(詳しくは前回までの記事を参照)を話しているうちに、気づけば自分が逆に他4人をビックリさせる側に回っていた。

 

「はぁーー、ようやるわ~~~」

「疲れたでしょそれ?!」

「いや本当にわざわざフローレンスまで来てくれてありがとうねぇ」

「えぇ??あんなところ人が歩く場所じゃないよ!」

みたいな反応をもらった。

 

 

すると、

女性職員さんが

 

「ここの近くのホテル、私が言えば一泊ぐらいさせてあげられるよ」

 

 

 

え???マジで???

 

 

お金の問題とか大丈夫か聞けば、女性職員さんは全然問題ない(タダで泊っていいよ)という。

 

(女性職員さん、ナニモノ…??)

 

 

すると、Andyと同伴者2人(名付けて”アンディーズ”)も続くように、

「ライブまで時間あるし、ホテルまで車で送るよ!」

「今のホテルキャンセルするの手伝うよ!」

「よっしゃ!Tommy(自分のこと)!車乗って!」

 

 

 

(え…???いいんですか?????)

 

 

 

というわけで、アンディーズと女性職員さんの神おもてなしに導かれ、宿変更ドライブが始まった。

 

 

宿変更ドライブ with アンディーズ

アンディーズのメンバーは、女性のJulie(Andyの奥さんではなさそう)と男性のJohnそしてAndyである。

全員50代後半で、自分の親と同世代みたいだった。

どうやら、Julie車がAndyの送迎、John車が機材の運搬といった感じの役割分担らしい。

 

まず、自分はJulie車の後部座席に案内され、助手席にはAndyがいた。

(なんと、Andyも宿変更ドライブについてきてくれたのだ!)

 

Julie車の中では、なんとAndyが「TommyのCry for You見たい!」と言い、自分のCry for Youの演奏を見てくれることになった。

 


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↑本人に見てもらった私・富川のCry for Youの動画

 

最初の「Cry for You (Live) – Andy Timmons」という表示を完全に丸パクりしたところにも気づいてくれた。

 

途中「病気になったら代わりに弾いてもらおうかなww」とジョークを言われたが、畏れ多すぎて反応に困った。

 

結局、Andyは途中で止めることなく最後まで見てくれた。

そして喜んでくれた。

(ミスした部分を見られている間は生きた心地がしなかったが…笑)

 

自分も感激だった。

まさか、ライブでやることにした時点では、直接本人に見せる日がとは夢にも思っていなかった。

 

 

そんな幸せな時間を過ごしているうちに、もともと宿泊していたホテルに着いた。

 

Julieがフロントに行ってキャンセルの手続きをしてくれた。

自分はその間に部屋に戻り、荷物をまとめた。

 

ちょうど自分の荷造りとJulieのキャンセル手続きが同じタイミングで終わった。

 

JulieとAndyは別に寄る場所があるとのことで、今度はJohn車で会場近くのホテル(女性職員さんが抑えてくれた所)に向かった。

 

 

Johnは、髭を生やして恰幅がよく、絵に描いたような「ワイルドアメリカン」な見た目をしていた。

Johnもギタリストで、杢目の美しいレス・ポールの写真を待ち受けにしていた。

 

Johnから「アメリカで何食ったんだい?」と聞かれ、「ハンバーガー」と答えると、

 

ハンバーガーうめェよな!!俺のこのお腹はハンバーガーで出来てるぜ!!ハハハー!!」

というワイルドアメリカンな字幕がよく似合う返答をもらった。

 

しばらく話をしていると、Johnが名言みたいな口調で

”Andy Timmons is good human being.(アンディ・ティモンズは良い『人間』だよ)”

と言っていた。

 

やはり、Andy Timmonsから感じた聖人オーラはホンモノらしい。

身内(アンディーズのメンバー)が言うなら間違いないだろう。

そして、そんな話をするJohnからも、前のホテルまで送ってくれたJulieからも、Andyと同じような聖人オーラを感じられた。

類友というか、似た者同士とうか、聖人の元には聖人が集まるということなのか…。

自分もそんな聖人オーラを、アンディーズのように振り撒ける人でありたいなと強く思った。

 

 

車内で楽しく話をしているうちに、女性職員さんが話を付けてくれたホテルにたどり着いた。

 

Johnは自分がルームキーを受け取る場面まで付いていてくれて、「また今夜!」と言って別れた。(やはりJohnも相当な聖人である)

 

 

 

部屋に入ると…

 

 

 

 

 

 

 

女性職員さんが押さえてくれたホテルの部屋

豪華!!!!!!

女性職員さん(名前を知らない)!!!!えええ!!!!

 

 

 

 

こうして、アンディーズと女性職員さんという聖人たちから、受け止めきれないほどの神おもてなしを受けてしまったのであった。

もう感謝感激ゲージが振り切りすぎて、この感謝を伝える語彙力・表現力がいくらあっても足りない。

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、聖人たちの神おもてなしはまだまだ続く…(更新お楽しみに!)

※この時点でライブがまだ始まってすらいないことに注意されたい。

Andy Timmonsのライブへ向かう - 音楽探求のためだけにアメリカに一人旅した話day3-1

前日の雪崩的トラブルたちを何とか乗り越え、いよいよライブ当日となった。

 

疲労の蓄積が半端なく、おそらく人生でトップ3に入るぐらいの熟睡だったと思う。

起きた時間は大体10:00 amだった。

 

いよいよ今日Andy Timmonsと会えると思うと、期待と緊張が高まる―

 

 

 

 

…わけではなかった。

 

 

正直のところ、不安の方が遥かに上回っていたのだ。

 

 

期待を遥かに上回る不安

郊外のホテルに宿泊しており、当初はUber(Uber EATsの人間を運ぶVer.)で会場のある市街地(約6 km先)へ向かおうと考えていた。

しかし、前回説明したように、フローレンスはUberユーザー不在の田舎街である。

しかも、自分の携帯電話は何故かタクシー会社に繋がらないのだ。(前回記事を参照)

 

ただ、フローレンスは観光地が特別にあるわけでもなく、19:00 pm開始のライブまで何もすることが無い。

 

 

 

 

 

 

…会場まで歩くか。

 

そして、準備を整えて外に出た。

 

 

 

外に出た瞬間に絶句した。

 

人が歩くことが想定されていない道だったのだ。

 

 

大型商業施設は乱立しているのだが、そのどれもが車で来ることを想定されたものだった。

 

道路脇の草むらは歩けなくもなかったが、横断歩道が無い。

 

もちろん周囲には、自分以外の歩行者など一人もいない。

 

場所によっては、草むらに腐って骨が露出したシカの死体(?)も転がっていた。

 

いつ事故に遭っても、いつ拉致されてもおかしくないのではないか…

仮に会場に行けたとしても、体調不良などの理由でライブがキャンセルになってしまうのではないか…

というネガティブな考えが次々と頭に浮かび上がり、足がすくんだ。

 

でも、ここまで来てしまった以上、ライブに行くという目的を果たすしかない。

Andy Timmonsに会える可能性だけが、この不安を紛らわしてくれた。

もはや”期待”ではなく、不安を乗り越えるための”希望”となっていたのだ。

 

フローレンス郊外の道路の様子

 

マクドナルドで昼食

サウスカロライナはとても温暖な気候だったのに加えて、車が途切れるタイミングに走って道を横断していたため、想像以上に水分と体力の消耗が激しかった。

 

ちょうど3 kmほど歩いたところにマクドナルドがあったため、そこで昼食をとることにした。

 

絶対このマックに日本人来たことないよな…なんて考えながら、タッチパネル式のオーダー機でビッグマックセットを注文した。

「タグ(番号札)を持って席で待っててね」と表示されたため、番号札をテーブルに置いて待っていた。

 

 

 

しかし、何十分待っても運ばれてこない。

 

時間的にはかなり余裕があるのだが、かなり喉が渇いていた。

前日に培った気合コミュニケーションで、店員さんに状況を訴えた。

どうやら他のお客さんと同様に受け取り口で待たないといけないようだった。

 

だが、いつまで経っても自分のビッグマックセットが呼ばれない。

明らかに自分より後に来たお客さんたちが次々と呼び出される。

 

近くにいた黒人女性のお客さんが「どうしたの?」と心配してくれた。

気合コミュニケーションで「ずっと待ってるんだけど呼ばれなくて…」と返した。

同情するような表情を浮かべてくれた。

気合コミュニケーションも案外伝わるようだ。

 

 

喉の渇きが限界を迎える頃合いだった。

ずっと居座るアジア人を奇妙に思ったのか、清掃に回っていた店員さんが声を掛けてくれた。

気合コミュニケーションで「ビッグマックセットをずっと待ってます」と返したら、その店員さんが急遽オーダーを通して自分の元に持ってきてくれた。

またしても心からの”Thank you so much”を伝えた。

 

 

ビッグマックをオーダーしたのは、前日のシャーロット空港でのバーガーキングXLと同じようにアメリカンサイズを期待してのものだった。

待たされた末に出てきたものでもあるため、その期待は非常に高まっていた。

 

そして届いたものがコチラ。

 

ビッグマック in フローレンス

 

期待とは違い、日本で販売されている大きさとほぼ同じものが出てきた。

(ドリンクカップは比較にならないほど大きかったが…)

 

味も、日本のものよりチーズの乳成分が強そうという程度で、あまり大差がなかった。

少しがっかりである。

 

 

ここで少し話が脱線するが、「ビッグマック指数」というものをご存じだろうか。

自分はこの存在を帰国後に知ったのだが、世界各国の経済状況を示す指標の一つである。

 

どうやらビッグマックは全世界共通の材料やレシピで作られており、提供される品質が全世界で限りなく均一な食品らしいのだ。

つまり、ビッグマックは全世界で同じ価値の食品と見なすことができる。

この前提に従うと、「高いお金を出してビッグマックを食べる国 = 国民が沢山のお金を持っている国 = 経済レベルが高い国」といえる…といった理屈だ。

 

この「ビッグマックにがっかりした」という経験があったからこそ、自分もビッグマック指数についての知識が深く植え付けられたのだと思う。

 

こうして、フローレンスでのマック昼食は、「経験と知識は深く関係する」と改めて気づかされた出来事にもなった。

 

興味を持った方は、コチラの動画を見てみてほしい。


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フローレンス市街地へ

マックから1 kmほど歩いたあたりから、歩道が出現した。

そして、歩行者向けの信号機も出現した。

 

やっと堂々と道を歩ける…

この心境を日本で感じることはほぼないだろう。

 

そして、ライブ会場のFrancis Marion University (FMU)の道路案内も出現した。

このあたりからAndy Timmonsに会える実感が湧き、”希望”が”期待”に少しずつ変わり始めた。

 

歩道の出現からしばらくすると、大型商業施設の街並みが住宅街に変化した。

住宅街の中に、ドデカく顔写真を載せたインプラントの看板を見つけた。

 

インプラントの看板がドデカく顔写真を載せがちなのは、何も日本だけではないのかもしれない。(富川は街中で「きぬた歯科」のドデカ顔看板を普段よく目にしている)

 

ドデカ顔写真インプラント看板 in フローレンス

 

目的地のFMUが近づくにつれて教会を目にするようになった。

主にヨーロッパでは教会を中心に街が形成されていることから、自分が市街地にたどり着いたことを強く実感した。

(アメリカで同じことが言えるかは微妙だが…)

 

そして、FMUと思われる場所にたどり着いた。

 

ここまで来て「場所を間違えた」という顛末だけは避けたいと思い、勇気を振り絞って建物の中に入った。

 

ライブ会場のFMUアートセンター

 

建物に入ると、さっそく白人で中高年の女性職員の方と目が合った。

 

気合コミュニケーションで「今夜ここでAndy Timmonsのライブがあるってことで合ってますか?」と尋ねた。

 

 

 

 

女性職員の方「合ってるよ!」

 

 

 

 

それを聞いた瞬間、心の中で盛大にガッツポーズを決めた。

 

 

Andy Timmonsに会える!

Andy Timmonsの生演奏が聴ける!

バキバキに心を折られまくったけど、何とかたどり着いた!

 

 

 

身体中のアドレナリンが爆発した。

 

 

運命は突然に…

その女性職員さんは、見ず知らずの奇妙なアジア人の存在と発言に、大変驚いた顔をしていた。

 

アドレナリン大爆発状態の自分は、今がチャンスだと思い畳み掛けた。

「Andy Timmonsのライブがあると知って日本から来たんです!」

「Andy Timmonsと会うためだけにフローレンスに来ました!」

 

 

すると、女性職員さんが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、ウチの学生向けにAndyがmasterclassやってるから入る?」

 

 

 

 

 

 

 

 

耳を疑った。

耳の機能を疑うどころか、自分に耳が付いてるのかすらも疑うレベルだ。

 

 

 

 

咄嗟に“Really??????”を連発した。

たぶん中には日本語の「え?!」も混ざっていた。

しかし、そんなのは関係ない。

 

 

 

女性職員さんに案内されるまま進む。

 

 

 

部屋のドアが開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには画面越しに何十回、何百回、何千回と見たギタリストの姿があった—

(続く)