Jeff Beckが死んだ。
気が付いたらアメリカでのライブのチケットの予約が完了していた。
こうして後に退けなくなった私・富川は、学生最後の春休みにアメリカへ一人旅することを決意したのであった。
Jeff Beckの死
まず、Jeff Beck(ジェフ・ベック)が誰なのかを簡単に説明しよう。
「神(らしい)」
とりあえず、ギター(特にエレキギター)を弾く人間にとっては言わずと知れた存在である。Eric Clapton(エリック・クラプトン)、Jimmy Page(ジミー・ペイジ)と並ぶ「世界三大ギタリスト」の一人である。間違いなく、音楽界のレジェンドの一人である。
神とまで崇められる存在を紹介した直後なのだが、正直に言うと自分自身Jeff Beckのギターを100%"良い"と感じていない。(神"らしい"と付け加えたのはこのためである)
逆張りとかではなく、純粋に「100%の保障をもって"良い"と言い張れる自信がない」のである。
もちろん素晴らしいギタリストなのは誰もが認めるものであるし、音楽界のレジェンドとまで言われる理由も理解できる。だが、自分が耳にした限りのJeff Beckの演奏からは心を動かされるほどの感動を受けてはいない。全世界のギタリストを敵に回すかもしれないし、天国のJeff Beckには本当に申し訳ない発言であるが、本心は先述の通りなのだ。
とはいえ、Jeff Beckはギターを弾き始めた初期の中学生の頃から知っていた存在である。仕事で家にいない間に、父親の部屋に立ち入っては眺めていたロックの雑誌やギタースコアで名前を絶対に見る存在だった。"ジェフ・ベック"という語呂の良さも相まって記憶に残りやすかった。そのことから、その存在は脳裏から離れなかった。図書館でCDを借りて聴いてみたり、ギタースコアに書かれているままフレーズをなぞってみようとしたりした。だが、それでもJeff Beckの演奏からは感動を受けなかった。(その中でも一番琴線に触れた曲はBlue Windだった)
それから10年ほどが経ち、2023年1月12日朝にJeff Beckの死を知った。
本当に失礼だと思うが、Jeff Beckの死を知った瞬間には「そっか死んだのか」程度にしか思わなかった。
タイトルと書き出しの部分だけを読めば、自分の行動は客観的に見て"Jeff Beckの死に際して衝動に駆られたもの"という印象を受けるかもしれない。だが、実際はJeff Beckの死から受けた印象は「そっか死んだのか」程度でしかないのである。感情の動きとしては"衝動的"とは言い難いほどの取るに足らないものであった。
なのに、何時間が経ってもJeff Beckの死という事実が脳裏にこびりついて離れない。
この粘着質な感じは靴裏のガムを遥かに上回っていた。
「ギタリストとして何か行動を取らないと、この粘着質は永遠に剝がれないのかもしれない。」
気が付けば自分の脳はこう結論付けていた。ギタリストとしての自分が一番したいこと・今すぐにでもしたいことは何だろう。
Jeff Beckの死を知った2023年1月12日は一日中そのことを考えていた。
考えた末にアメリカでのライブのチケットを取る
真っ当な人間であれば考えた末に下す判断ではない、ということは自覚している。
何なら、考えるまでもなく普通は選ばない選択肢だと思う。
だが、ギタリストとしての自分ないしギタリスト以前の自分の欲求に忠実に従った結果なのは事実である。
どうしてこの選択をしたのか考えたところ、その理由は三つあると思った。
①ギタリストにしては機材に対する物欲が小さい
②アメリカに行くこと自体があまり苦ではない
③Andy Timmonsという存在がある
順を追って説明しよう。
①ギタリストにしては機材に対する物欲が小さい
ギタリストという生き物は、金銭的な部分を度外視したときに真っ先に機材を買いたがる傾向にある。
一人のギタリストの端くれとして気持ちは痛いほど分かる。が、自分はギタリストの中では機材に対する物欲は比較的小さい方である(※富川調べ)。仮に2桁万円をギター関係に自由に使っていいのならば、そこそこ良いギターを買うよりもプロのレッスンを十数回受ける方を迷わず選ぶ。
今メインで使っているギターは実家から借りパクしているものだし、足元に置くエフェクターも如何に少なくするかを考えているし、アンプはあるものを使えばいいとしか思っていない。
とにかく、ギタリストの大半は、アメリカに行ってくるお金を用意できるのならギターを一本買うかアンプを買うかしていただろう。でも自分はそうではなく、別のものに使いたいと考えるタイプである。
②アメリカに行くこと自体があまり苦ではない
(ギタリストとしての自分もそうでない自分も含め)自分を知る人の大半から言われる自分の性分は、ハイパーフッ軽、ハイパー環境適応力である。そのような自分からすれば、確かにアメリカに行ってくることぐらい容易いのかもしれない。
自分は栃木県宇都宮市を故郷として認識しているものの、父親は沖縄出身、母親は新潟出身である。そのため、幼少期から親戚イベントがある度に日本国内を駆け巡っていた。加えて高校では実家を離れ鹿児島で寮・下宿生活を過ごしていた。
この背景がハイパーフッ軽、ハイパー環境適応力という人格を形成したと考えられる。
また、大学に入ってから友達と一緒に海外に行ったことが二度あり、海外へ行くことに対する抵抗感が下がったのも大きな要因なのは間違いない。大学院に進学した後にも、海外の学会に参加しに行く研究室仲間や学科同期がいたのも大きく影響している。
あと忘れてはいけないのが、バイト先の上司に当たる社員さんのアドバイスである。
帰りの電車で偶然一緒になり雑談していると、その上司は学生時代にバイト代をほぼ全て海外旅行につぎ込んでアフリカにまで足を踏み入れていたという。何なら素手でお尻を拭くまでしたらしい。
その話の流れで「1~2週間ぐらいまるっと休んで海外に行くのは学生のうちにやっておいたらいいよ」とアドバイスを頂いた。
それから、頭の中では社会人になる前にどこか海外に行こうとざっくり決めていたのだった。
③Andy Timmonsという存在がある
Jeff Beckの紹介の部分で「演奏から感動を受けなかった」と述べたが、そんな自分にも感動を受けた演奏というものが存在する。
その大きな一つがAndy Timmonsというアメリカ人のギタリストの演奏である。
特にこの演奏には画面越しにも関わらず、言葉にならないほどの感動を覚えた。
足元にも及ばないが、再現しようと頑張るなどもした。
Andy Timmonsの演奏は他にも素晴らしいものばかりなので、興味を持った読者の方は是非色々聴いてみてほしい。
さて、「音楽を含め芸術というものは"感動の共鳴"である」という話を聞いたことがあり、本当にその通りだと私自身思っている。この話に従えば自分はJeff Beckには共鳴しなかったがAndy Timmonsには強く共鳴していると言える。なお、Andy Timmonsは(TwitterやInstagramを見る限り)Jeff Beckに強く共鳴している様子である。もしかしたら自分もJeff Beckに間接的に共鳴しているのかもしれない。
とりあえず「画面越しにでも感動の共鳴を受け取れるのなら、直接聴いてしまったらどうなってしまうのだろうか」という好奇心なのか。それとも「ただただ単純により強い感動を受け取ってみたい」という探求心なのか。いつしかAndy Timmonsの演奏を生で聴きたいと思うようになっていた。Andy Timmonsは親日家で来日公演も行っているのだが、それより先に「自分が出向いてでも見てみたい」とさえ思うほど、その思いは強くなっていた。
また、Jeff Beckは世界三大ギタリストの中では最年少で、死因も急性の病だった。それゆえ、Jeff Beckの死は「人間はいつ死ぬか分からないもの」だと思い知らされた出来事でもあった。
死んでしまった人の生演奏は当然もう聴くことができない。これほどまでに自分の感動の共鳴を誘起する演奏を生で聴く前に死なれてたまるか。
そう思うと居ても立っても居られなくなった。
以上の
①ギタリストにしては機材に対する物欲が小さい
②アメリカに行くこと自体があまり苦ではない
③Andy Timmonsという存在がある
の三つの理由なのだろう、ギタリストとしての自分の欲求が赴くままに行動した結果、Andy Timmonsがアメリカ現地で行うライブのチケットを予約したのだった。
優先順位がおかしい気もするが、チケットさえ予約してしまえば、最悪旅行自体が実現不可能だと分かっても金銭的なダメージは少ない。さらに、旅行の日程を組むモチベーションにもなると考えると、正しい判断だったとも思う。
レジェンドって何だろう
さて、ここまでダラダラと色々書いてきたのでぼちぼちタイトル回収をしたいと思う。
結論から言うと、レジェンドとは「偶然から行動を駆り立て、その意味を持たせてくれる存在」なのかもしれない。
今回の件では、Jeff Beckの死が巡り巡ってAndy Timmonsの生演奏を聴きにアメリカへ行くという行動を駆り立てたのだ。だが、Jeff Beckの死も、ギタリスト的物欲が小さいことも、自分がハイパーフッ軽であることも、Andy Timmonsに共鳴していることも、全て偶然なのである。これらの偶然が糸のように紡ぎ合うことで行動として現れたのだろう。今回の旅に関して、現時点で言えることはここまでである。
帰納的にこの結論に至った原体験として他に挙げられるのが、誰もが知るking of popことMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)の死である。
当時自分は小学5年生だった。Michael Jacksonという名前は何となく聞いたことがあったが具体的にどのような人なのかは知らなかった。(これもまさに有名度と"マイケル・ジャクソン"という語呂の良さという意味ではJeff Beckと同じレジェンドたる所以なのかもしれない)
正直Michael Jacksonの死を知ったときも「なんか名前知ってる人が死んだらしい」ぐらいにしか思わなかった。当時目立ちたがり屋だった自分はニュースで流れるムーンウォークの映像を見ては真似して人気者になろうとした。Michael Jacksonに興味を持った自分を見て父親がThrillerのMVを見せてくれた。同級生でMichael Jacksonに味を占めて人気者になりたがった仲間がいて、Michael Jacksonの知識勝負で張り合っていた。
今思えばこれら全て偶然だったのだが、気付けばMichael Jacksonを追いかけるという行動を駆り立てられていた。そこに感動の共鳴があったかは定かではないにせよ、とにかく何かに駆り立てられたように行動した。結局ギタリストの端くれとしてそこそこ深く音楽と関わっている現在も、Michael Jacksonの音楽には驚かされている。死から15年を目前にしながら新鮮ささえ感じる。音楽面の知識や経験を積めば積むほど、Michael Jacksonの凄みの片鱗を受け取ることができ、自分の探求する音楽の世界を広げてくれるのかもしれない。
その計り知れなさ故に、Michael Jacksonの"良さ"を100%知っている気になれない。この感覚は、最初に述べたように自分がJeff Beckに対して感動を受けないという感覚と似ているのかもしれない。
とりあえず少なくとも言えるのが、「Michael Jacksonの死という偶然を中心に他の偶然が寄り集まり、日本でミュージシャンの端くれとして活動する今もなお音楽の世界を広げてくれている。」ということである。
この旅行が何の意味を持たせてくれるのかは出発前なのでまだ何とも言えない。しかし、Michael Jacksonと同じように、何かの意味を持たせてくれるものになることは間違いないだろう。
そう考えると心底ワクワクする。今から既に出発が楽しみである。
(※この記事は前日譚ということで、出発前に書いたものである)